近未来都市の幽寂

近未来都市の幽寂

サブブログ。転載・メモ用途。

回帰1 妹と

821 :回帰1 妹と ◆cmuuOjbHnQ:2014/01/24(金) 00:36:01 id:i66qlXSQ0

バスルームで汗を流していると電話の鳴る音がした。
子機を持って来た妹の久子が強張った表情で言った。
「お兄ちゃん、電話よ。……木島さんって方から」
「そうか」
そう言って、俺は久子から子機を受け取った。
用件は判っていた。
3ヶ月近くの間、俺はこの時を待っていたのだ。
用件を聞いて電話を切り、俺は子機を久子に渡した。
俯いたまま子機を受け取った久子が、消え入りそうな声で言った。
「行くの?」
「ああ」
暫しの沈黙の後、久子が口を開いた。
「行かないで欲しい……ずっと此処にいてよ、お兄ちゃん!」
「そうは行かないだろ?……マミを迎えに行って遣らないと」
「私は嫌よ……行かせない。絶対に!
行かないで。……このまま、ずっと私の傍に居てよ。お願いだから。。。」


822 :回帰1 妹と ◆cmuuOjbHnQ:2014/01/24(金) 00:38:15 id:i66qlXSQ0

「そう言う訳には行かないだろ?マミが待っているのだから」
「本当に?……あの娘とは、もう終ってしまったんじゃないの?」
久子の言葉は、俺の中にあった怖れを抉り出した。
「あの娘と関わったら、お兄ちゃんは、また、危ない世界に戻らなければならなくなるんじゃないの?
あんなに抜けたがっていて、やっとの思いで抜け出したというのに。
……私は嫌よ。あんな思いをするのは、もう絶対に嫌!」
久子は泣いていた。
「マミは家族だから、……お前の大切な妹だから、迎えにって遣らないと」
「それでも嫌。……私、あの娘には、もう2度と戻ってきて欲しくない。
判ってる。……私、酷い事を言っているよ。でも嫌なの!」
「何故? お前は誰よりも、アイツの事を可愛がっていたじゃないか。本当の妹のように。
お前、マミのこと、嫌いだったのか?」
「ええ、嫌いよ! お兄ちゃんと関わった女の人達なんて、みんな嫌いよ。最初からね!
マミちゃんも由花さんも、……会った事は無いけれど、……命懸けでお兄ちゃんを守ってくれた人だけど、アリサさんも!」
「何故?」
「理由なんて、……理由なんて無いわよ!
でもみんな、お兄ちゃんを不幸にする。お兄ちゃんを傷つけて、危険な目に遭わせる。
……あの人たちのせいで、お兄ちゃんはいつか命を落す。そんな気がしていたのよ!」


823 :回帰1 妹と ◆cmuuOjbHnQ:2014/01/24(金) 00:40:24 id:i66qlXSQ0

「心配性だな。考えすぎだよ」
「はあ?何を言っているのよ!……実際に、2度も命を落し掛けているじゃないのよ!
……お兄ちゃんは、全然、判ってくれないんだね。。。
子供の頃から、お父さんも、お母さんも、お姉ちゃんも、私も、……いつも心配していたわ。
いつか、……いいえ、明日にでも、お兄ちゃんが居なくなってしまうんじゃないかって。
二度と会えなくなっちゃうんじゃないかって……いつも怖かった。今でもね!
私達、家族なのよ? 本当の……偶には振り返ってよ。
あの娘の事ばかりじゃなくて、私のことも見てよ!……お願いだから。。。」
泣き出した久子を抱き寄せて、彼女の頭を撫でながら俺は言った。
「お前、相変わらず嘘が下手だな。
そんな事を言っても、本当は、マミのことを心配しているんだろ?」
「ええ。……それでも、……マミちゃんとお兄ちゃんは、……嫌」
「何故? ヤキモチか何かか?」
「そんなんじゃないわよ。……いいえ、それが全く無いとは言わないわ。
それでも、私は別に、お兄ちゃんが恋人を作ったり、結婚すること全てに反対と言っている訳じゃないのよ。
でも、マミちゃんは駄目。 あの娘は……お兄ちゃんと一緒に居るには、脆すぎる。傷付き易すぎる。
お兄ちゃんも弱い人だから、傷つき易い上に、立ち直りが遅いわ。
あの娘に何かがある度に、あの娘の事で傷ついて、いつまでも自分を責め続ける。
由花さんやアリサさんみたいにね。
お兄ちゃんの相手は強い人じゃないと。……祐子さんみたいな。
祐子さん、……私のせいで駄目にならなければ、お兄ちゃん達、今頃。。。」
俺は、語気が荒れそうになるのを抑えながら言った。
「お前は、何も悪くない。 それに、祐子は同級生で、ただの昔の勉強仲間だよ。
それ以上でも、それ以下でもない」


824 :回帰1 妹と ◆cmuuOjbHnQ:2014/01/24(金) 00:42:36 id:i66qlXSQ0

マミは、三瀬と迫田の暴力と、醜い男の欲望に晒され続けて、今尚深いトラウマを抱えたままだ。
そして、持ち前の気丈さで人に悟られまいとしているが、久子もまた、マミと同様の男性恐怖や嫌悪を抱えている。
久子が、マミを引き取る事を俺たちの両親に強力に働きかけてくれたのは、同様の心の傷を抱えた者同士だったからでもあるのだろう。
久子もまた、学生時代に顔見知りの男に襲われ、深く傷つけられた経験があるのだ。
だが、久子のトラウマの原因は、犯人の男よりも、むしろ俺自身の『狂気』だったのかもしれない。。。
 
まだ、ストーカーという言葉も一般的でなかった頃の事だ。
久子は2年以上に渡って、中学時代の同級生による執拗な付き纏いを受けていた。
ストーカー規正法もまだなく、相手の保護者に再三抗議したが、その男の付き纏いが止まる事はなかった。
やがて俺は一浪、久子は現役で大学に進学し、地元を離れた。
俺たちは家賃の節約も兼ねて、同じ部屋に同居して大学に通学した。
地元を離れて油断していた俺たちは、ストーカー男の存在をほぼ忘れかけていた。
そんな時に事件が起こった。
祐子たち勉強仲間と自主ゼミを行った後、俺は祐子に誘われて彼女の部屋に寄って、予定より1時間ほど遅れて帰宅した。
点いているはずの部屋の灯りは消えていた。
医学生だった久子は、急に帰宅時刻が遅くなる事も少なくなかったので、特に不審には思わなかった。
だが、玄関のドアの鍵が開いていた。
部屋に入ると玄関先にスーパーのレジ袋と中身が散乱していた。
部屋の奥から人の気配がする。
照明のスイッチを入れて、「久子?」と声を掛けた瞬間、暗いままの奥の部屋から誰かが駆け出してきて俺にぶつかった。
男の襟首を掴んで奥の部屋を見ると、半裸状態の久子が海老のように体を丸めて横たわっていた。
俺は全身の毛が逆立つのを感じた。
そして次の瞬間、逃走しようとした男に俺はナイフで刺されていた。


825 :回帰1 妹と ◆cmuuOjbHnQ:2014/01/24(金) 00:44:36 id:i66qlXSQ0

冬物の革のライディングジャケットのお陰で、出血は派手だったが、傷自体はそれほど深いものでは無かった。
ヌルヌルとした血の感触に、俺は逆上する訳でもなく、むしろ異様に冷めた精神状態になった。
左手で男の顔面を掴み、そのまま人差し指と中指を男の目に捻じ込み、思い切り握り込んだ。
グリッとした硬い手応えと共に、男は獣のような凄まじい叫び声を上げた。
本能的な行動だったのだろう、男は顔面を抑えたまま、玄関の方へ逃げていった。
玄関を出て、廊下の壁にぶつかりながら、階段の方へと逃げて行く。
階段の前に来たところで、俺は後ろから男の襟首を捕まえた。
そして、股間部を掴んで男を持ち上げると、頭から階段に投げ落とした。
男は、階段の中ほどに頭から落下し、そのまま転がり落ちていった。
騒ぎを聞きつけて出てきた、隣の部屋の女学生が俺の姿を見て悲鳴を上げた。
後日、聞いた話では、俺は血塗れで薄ら笑いを浮かべたまま立っていたらしい。
幸い、久子の激しい抵抗にあって男は行為には及んでいなかった。
だが、久子は頬骨と肋骨を折る重傷を負わされ、数針縫う切創も負っていた。


826 :回帰1 妹と ◆cmuuOjbHnQ:2014/01/24(金) 00:46:54 id:i66qlXSQ0

相手の男は両眼をほぼ失明し、頭蓋骨の陥没骨折、頚椎の骨折と脱臼いう瀕死の重傷を負っていた。
何とか命は取り留め、意識も回復したが、首から下が完全に麻痺したらしい。
祐子の父親の尽力も有って、俺は刑事上も民事上も責任を問われる事はなかった。
しかし、事件が久子に与えた精神的衝撃は、余りにも酷かった。
そして、久子と仲の良かった祐子の精神的ショックも大きかった。
あの日、俺を誘わなければと、自分を責め続けた。
久子や祐子とは違った形で、事件は俺にも深い影響を与えていた。
男の眼を潰したとき、そして、階段に頭から投げ落とした時、俺は極めて冷静だった。
人一人を殺そうとしておきながらだ。
咄嗟の事態に狼狽してでは無く、ナイフで刺されて逆上したからでもなく、結果を予見しつつやったのだ。
極めて冷静に、眼を潰され抵抗力を失った男を投げ落とした時には、むしろ、楽しんでさえいたのだ。
後に、権さんは俺に言った。
俺の狂気を、ジュリーこと姜 種憲(カン・ジョンホン)以上の狂気を買っていると。
そして、俺の中には、確かに棲んでいるのだろう。
マサさんの息子が言っていた『鬼』とやらが。


827 :回帰1 妹と ◆cmuuOjbHnQ:2014/01/24(金) 00:48:54 id:i66qlXSQ0

体の傷が癒えると、周囲の心配を振り切って、久子は学業に復帰した。
事件を気に病む祐子を気遣っての事だったのだろう。
だが、そんな久子の俺を見る目は、怯え切っていた。
事件は、俺自身にも暗い影響を与えていた。
俺は、あの日の『暴力』の味が忘れられず、黒い『期待』を抱いて夜の街を徘徊した。
半ば挑発して、不良の餓鬼やチンピラと揉め事を起こしたりもした。
飢餓感すら感じながら暴れ回ったが、素人相手に拳を振るっても『渇き』は増すばかりで癒されることはなかった。
隠したつもりでいても、俺の異常な状態は久子にはお見通しだったのだろう。
子供の頃から、久子に俺の秘密を隠し果せた事など無いのだ。
やがて俺は、夜の町で知り合った女の部屋に転がり込んで、久子と住んでいた、あの部屋に戻ることは二度と無かった。


828 :回帰1 妹と ◆cmuuOjbHnQ:2014/01/24(金) 00:50:38 id:i66qlXSQ0

俺は、久子のマンションを出て、木島氏の指定した待ち合わせ場所へと車を走らせていた。
運転しながら、マミが残していったMP3プレーヤーの中に残されていた歌をリピートして聞いていた。
『……さよならって、言えなかったこと、いつか許してね……』
何を話せば良いのか?
マミは帰ってきてくれるのか?
俺は、マミとやり直せるのか?
俺は、マミの傍に居ても良いのか?
判らない。
だが、全てはマミを連れ戻してからだ。
俺の両親が待つあの家へ、マミを連れ戻す。
全ては其処からだ。
やがて、俺は待ち合わせの場所に到着した。
 
 
つづく

 

イクリプス

2038 :イクリプス ◆cmuuOjbHnQ:2012/12/21(金) 06:16:07 id:Y4grlhQ20

俺は、キムさんに辞表を提出して実家に戻った。
はいそうですかと、簡単に辞めさせてもらえる業界ではない。
だが、俺に残された時間は少ない。
俺のために動いてくれている一木氏や榊夫妻とも、シンさんやキムさんとも、二度と会うつもりはなかった。
向こうが何と言おうとも、俺は呪術の世界とは二度と関わりは持たない。そう誓ったのだ。
『定められた日』とやらが近づいた為か、或いは裏切り者の俺に『呪詛』でも仕掛けられているのか……
俺の肉体の変調が確実に始まっていた。
体重がどんどん減少して行き、70kg程あった体重が60kgを切りそうな所まで落ちていた。
キムさん達からのアクションは全くなかった。
それは、不気味なほどだった。
俺は、Pに頼んで姉と妹に監視者を付けた。
キムさん達による拉致を恐れたからだ。
もちろん、そういった事態を防ぐために、他にも手は打ってあった。
俺は、可能な限りマミと行動を共にした。
マミの卒業が目の前に近付いてきた、そんなある日のことだった。
俺は、街中で一人の男に呼び止められた。
キムさんのボディーガードの一人で、同じ空手道場の同門3人組で一番若い徐だった。


2039 :イクリプス ◆cmuuOjbHnQ:2012/12/21(金) 06:17:21 id:Y4grlhQ20

徐は、急激に痩せて人相の変わった俺に驚きを隠せない様子だった。
「久しぶりだな、拝み屋」
「徐か……何をしに来た?」
「そういきり立つなよ。別に社長に命令されて来た訳じゃないのだから」
「そうか?」
「判っていると思うが、社長はお前を手放すつもりはない。
ただ、暫くお前の自由にさせておけと言っている。
俺たちが、お前の家族や友人に手出しすることはない。だから、早まった真似だけはするな」
「判った。お前たちが手出ししてこない限り、俺の方も何もしないよ。約束しよう」

「お前と一緒にいた、あの娘は……あんな小娘のためにお前は?」
「ああ、そうだ。おかしいか?」
「馬鹿げている。
お前は社長やシン会長にも気に入られて、期待もされている。
俺たちと違って学もあるし、『呪術』って売りもあるからな。
黙っていても、あと2・3年もすれば幹部だろ?
もう、危ない橋を渡らなくても、金や女がいくらでも自由になる身分じゃないか!
何も、あんな小娘に拘らなくても、他にいい女はいくらでもいるだろう。
あの娘と一緒になるにしても、良い暮らしができるだろう。
今更抜けてどうしようって言うんだ?
堅気になってサラリーマンにでもなろうってか?
無理だよ、お呼びじゃねえって。
俺たちにはツブシなんて効かないんだ。他に行き場なんてないんだよ!」


2040 :イクリプス ◆cmuuOjbHnQ:2012/12/21(金) 06:18:42 id:Y4grlhQ20

「そういう問題じゃないんだよ。お前には判らないかもしれないけどな。
ぬるま湯に浸かりすぎて感覚が麻痺しているんだ。俺もお前も。
異常な世界に安住してしまっているんだよ。独りならそれも良いだろう。
でも、異常な世界にどっぷりと浸かりながら、普通の結婚生活や家族生活を送ることはできないよ。俺にはな。
熱湯に入るのか、冷水に飛び込むのかは判らないけれど、取り敢えずぬるま湯からは出ることにした。
ここまで来るのにウダウダと時間を食ってしまったが、抜けて後悔はないさ」
「判ったよ……、俺はもう何も言わない。
……お前、あの娘と一緒になるのか?」
「ああ、そのつもりだ」
「そうか。……それじゃあ、一杯奢らせてくれ。前祝いだ」
「判った。付き合うよ」
ハイペースでグラスを空けながら徐は昔話をした。
権さんに命じられてタイマンを張ったこと、仕事や道場でのこと、そしてアリサのこと……
「拝み屋……今度こそ上手くやれよ。幸せにな」
「ああ、ありがとうな」
そう言って、俺は徐と別れた。


2041 :イクリプス ◆cmuuOjbHnQ:2012/12/21(金) 06:20:00 id:Y4grlhQ20

数日後、キムさんのボディーガードで徐の先輩の朴が俺の前に姿を現した。
身構える俺に朴は言った。
「徐の行方を知らないか?」
俺は、徐が俺を訪ねてきたことを話した。
徐の行方は知らないことも。
徐は追われていた。ガード対象の女……大口のクライアントの愛人と駆け落ちしたらしい。
その女は、クライアントの『金庫番』だった。
どうやら、徐の件以外にも、キムさんのビジネスはケチの付き通しらしかった。
俺のことなどに関わっている場合ではないらしい。
俺は『休職扱い』という事だった。
原因は定かではないが、キムさんが急速に『運気』を落としているのは確かだった。
キムさんたちと手を切ろうとして、四苦八苦していたPの方も、纏まった『手切れ金』を払うことで足抜けに成功していた。
完全に焼きが回った状態のキムさん、そしてシンさん達は、その勢力を確実に削り取られていった。


2042 :イクリプス ◆cmuuOjbHnQ:2012/12/21(金) 06:21:30 id:Y4grlhQ20

やがて、マミの高校卒業の日がやってきた。
日を改めて、俺は父と母、姉夫婦と妹、そしてP夫妻を呼んで食事会を開いた。
両親とマミ以外の面々は痩せこけた俺の姿に驚きを隠せないようだった。
この時の体重は55kgを割っていたか。
義兄は、そんな俺を心配し「近いうちに検査に来なさい」と言ってくれた。
だが、普通の医者にこの症状の原因は判らないだろうし、治療も不可能だろう。
俺の体調自体はすこぶる良好で、チェンフィですら、俺の症状の原因は判らなかったからだ。
「卒業おめでとう、マミちゃん!」皆がマミを祝福した。
「ありがとう!……XXさん、約束、覚えていますよね?」
「ああ。でも、俺はもう、結構いい年のオッサンだぞ?」「いいです。私、多分、ファザコンだと思うし」
「そのうちメタボって、腹とかも出てくるぞ」「むしろ、最近痩せすぎだと思います」
「オヤジを見れば判るだろうけど、確実にハゲるぞ?」「構いません。今だって坊主頭じゃないですか」
「最近加齢臭が……」「そうですか?わたし、XXさんの匂い、好きですよ」
「……」「もう良いですよね?……私、今でも、あの時よりもXXさんのこと大好きです。だから……」
「待て、そこから先は俺が言うから」
俺は深呼吸をして気持ちを落ち着けた。これほど緊張するものだとは!
「マミ、俺と結婚してくれるか?」「はい。でも条件があります」
「条件?」
「はい。私、XXさんと、おじさん達みたいな夫婦になるのが夢だったんです」
「ちょっと待て!『アレ』はどこに出しても恥ずかしいバカップルだぞ?」
「おいおい、親を捕まえてアレとか、馬鹿はないだろ!」
「それに、マミちゃん、おじさん、おばさんじゃなくて、お父さん、お母さんでしょ?
マザー・イン・ローだけどね」


2043 :イクリプス ◆cmuuOjbHnQ:2012/12/21(金) 06:22:39 id:Y4grlhQ20

「うん……ずっと、そう呼びたかった。ありがとう、お父さん、お母さん」
「それで、条件って?」
「毎日、私も言いますから、愛してるって言ってください」
「……お、おう」
「それと、毎日3回……5回はキスして下さい」
「……恥ずかしいな」
「お父さんは、毎日してますよ?」
「それは、あの二人がおかしいんだ!」
「私は、そうして欲しいんです。してくれますよね?」
「判ったよ。仰せのままに」
「ありがとう。私、こんなにワガママだけどXXさんの奥さんにしてくれますか?」
「もちろんだ!」
……それは、至福の瞬間だった。
このまま時が永遠に止まって欲しい、そう、俺は思った。


2044 :イクリプス ◆cmuuOjbHnQ:2012/12/21(金) 06:24:02 id:Y4grlhQ20

母が小さな箱を取り出した。
「昔、お父さんに貰ったものなの。サイズは直してあるから、マミちゃんにあげて」
俺はマミの左手の薬指に指輪を嵌めた。
「ありがとう!」
マミがポタポタと涙を流した。
泣き止んだマミが指輪の嵌った薬指を俺に向けて言った。
「ねえ、XXさん見て。とても、綺麗」
「ああ」
「もっと近くで。……目を瞑って」
俺は目を瞑らなかった。
「何で、目を瞑ってくれないんですか?」
ミユキが言った。
「古臭い手口よね。2度も引っかかったら馬鹿だわ」
不意を打つように俺はマミにキスした。
「最初から騙し討ちされてたまるか!」
顔を赤くしながら、マミは言った。
「私、XXさんとキスするの初めてじゃないですよ?」
「え?」
「初めて、XXさんのアパートに行った時に……XXさんは寝てたけどね」
……あの時か!


2045 :イクリプス ◆cmuuOjbHnQ:2012/12/21(金) 06:25:08 id:Y4grlhQ20

姉が声をかけてきた。
「ねえ、あなたたち、そろそろ席に着かない?
店員さんが困っているわよ」
久子が呆れたように続けた。
「あんた達、バカップルの才能十分よ。
見ているこっちが恥ずかしい。
人前でこれだけイチャつければ大したものよ。ご馳走様」
店員が注文していなかったシャンパンを持ってきた。
「おめでとうございます。これは、当店からのサービスです」
俺たちは乾杯した。
「あまり派手には出来ないけれど、ウェディングドレス、必ず着せてやるからな」
「はい。……お母さんにも見せてあげたかったな……」
義兄が言った。
「でも、成人式の晴れ着姿は見せてあげられたじゃないか。お母さん、喜んでいたよ」
ユファは、マミの成人を見届けると、耐え続けた全ての糸が切れたかのように意識を失い、二度と目覚めることなく亡くなった。
40歳の誕生日の少し前のことだった。


2046 :イクリプス ◆cmuuOjbHnQ:2012/12/21(金) 06:26:46 id:Y4grlhQ20

俺たちはPを連れて自宅に戻った。
そして、マミに全てを打ち明けた。
これまでの俺たちのことを、そして、一木燿子の霊視のことを。
「そんなの……ただの迷信じゃないですか!バカバカしい!」
「Pよ、俺たちの10何年間、一言で切り捨てられちまったな」
「そうだな」Pは苦笑いした。
「マミ、お前が言うように、ただのくだらない迷信だ。
俺は、『定められた日』とやらの後も生き抜くつもりだ。
だから、その日が過ぎたあと、全てがスッキリと片付くまで待っていて欲しいんだ。
ドレスは来年までお預けだ。いいね?」
「はい。……私たち、ずっと、一緒ですよね?」
「当たり前だ」
「なら、いいです。
ドレス、じっくりと時間をかけて選んでおきます」
「すまない……そうしてくれ」


2047 :イクリプス ◆cmuuOjbHnQ:2012/12/21(金) 06:28:32 id:Y4grlhQ20

マミとの平穏な日々は続いていた。
5月21日の朝だった。
俺は、内容は思い出せないが、得体の知れない悪夢の中にいた。
夢から目覚めようとするのだが、どう足掻いても目覚めることができない。
悪夢の中で苦闘していた俺はマミに起こされた。
「XXさん、そろそろ起きないと始まっちゃいますよ?」
「おはよう、マミ」
目を閉じたマミに軽くキスをする。
「今日も可愛いね。愛してるよ」
「私もです。愛してます」
両親が、俺が子供の頃から続けてきた朝のセレモニーは、俺とマミの習慣となっていた。
餓鬼の時分には『恥ずかしい親だ』と思っていたのだが、今は忘れると落ち着かない。
「珈琲を淹れるから、顔を洗ってきてください」
「ああ、ありがとう」
時刻は7時20分位になっていた。
「そろそろですよ」
両親とマミと共に庭に出て、日食眼鏡を目に当て空を見上げた。
空の真ん中で欠けていった太陽が小さな金色の輪を作った。
金環日食が始まった。
その瞬間、俺は異常な感覚に囚われた。
全身を静電気に覆われたような、産毛を逆立てられたようなザワザワとした感覚だ。
軽い目眩を感じていた俺に、「綺麗ですよ」と言ってマミが日食眼鏡を渡してきた。
眼鏡を受け取った俺の体は、気持ちの悪い浮遊感の中にあり、動かなかった。
眼鏡を手に持ったまま立ち尽くす俺に、心配そうにマミが声をかけてきた。


2048 :イクリプス ◆cmuuOjbHnQ:2012/12/21(金) 06:30:22 id:Y4grlhQ20

「大丈夫ですか?」
「大丈夫。軽い立ち眩みだ。夜勤続きだから、寝不足かな?」
だが、俺は異様な感覚と妙な胸騒ぎを覚えていた。
これは、長年慣れ親しみ、忘れようとしていた感覚に近いものだ。
今、この瞬間、何かが起こった。
……直接ではないが、俺にも関係のある何かだ。
不吉な予感に、俺は恐怖を感じていた。
心配そうに俺の手を握ってきたマミの手を俺は握り返した。
俺の掌は、冷たい汗で濡れていた。
やがて、天体ショーは終わりを迎えた。

日食のあった週の週末だった。
登録されていないアドレスから『緊急』と言う件名で、俺の携帯に一通のメールが入っていた。
キムさんからだった。
内容は、『マサさんが見つかった』と言うものだった。
そして、指定された日時にキムさんの事務所に来て欲しいと書かれていた。
俺は、メールを消去した。
俺には、もう関わりのないことだ。
絶対に、行くものか!


2049 :イクリプス ◆cmuuOjbHnQ:2012/12/21(金) 06:31:46 id:Y4grlhQ20

だが、キムさんからの知らせは俺の心に引っかかり続けた。
悟られまいとしたが、マミは直ぐに俺の様子がおかしいことに気づいたようだ。
問い詰められて、俺はマミにキムさんからのメールの事を話した。
「そのマサって人が、XXさんの先生で、XXさんを『呪術』の世界に引き込んだ人なんですよね?」
「まあ、そういう事になるのかな」
「行って下さい……XXさんの心は今、ここにはないから。
でも、私のところに帰って来てくれますよね?」
「ああ、必ず!……当たり前だろ?
俺の帰れる場所は、マミのいるここだけだからな」
 
俺は、キムさんの事務所に行った。
半年ぶりか。
事務所の雰囲気は、物の配置こそそのままだったが、暗く沈んだものに変わっていた。
事務所には、キムさんの他、シンさん、P、イサムとその姉の香織がいた。
皆、マサさんとあの『井戸』の関係者だった。
俺たちは、マサさんが来るのを待った。
だが、姿を現したのは意外な人物だった。


2050 :イクリプス ◆cmuuOjbHnQ:2012/12/21(金) 06:33:06 id:Y4grlhQ20

「……アンタが、何故ここに?」
5・6歳くらいの男児を連れた中年女性。
この女と俺は面識があった。
俺とPが呪術の世界に引き込まれる切っ掛けとなった事件で、俺たちに『生霊』を飛ばして来た女だった。
彼女はマサさんの『代理人』として来たらしい。
「今、『主人』と会っても、意思の疎通は不可能ですから」
……法律的にどうなっているのかは判らないが、マサさんは、俺たちを『斬った』この女と結婚していたのだ。
かつて、この女に付けられた『傷』の跡が疼いた。
俺もPも、イサムも全く気付いていなかった、意外な事実だった。
キムさんに「知っていましたか?」と尋ねた。
だがキムさんの答えも「知らなかった」と言うものだった。
『監視者』であるキムさんに気付かれる事なく、マサさんは密かに妻と子を設けていたのだ。
『組織』にとっては、重大な裏切り行為だ。
だが、マサさんの気持ちは理解できた。
呪術の家に生まれ育ったマサさんは、ある意味、俺以上に呪術の世界を忌み嫌い、抜けたがっていたからだ。
俺は、マサさんの叔母の一木燿子の言葉を思い出した。
彼女は、そして、マサさんの母親の一木祥子は、このことを知っていたのかもしれない。


2051 :イクリプス ◆cmuuOjbHnQ:2012/12/21(金) 06:34:42 id:Y4grlhQ20

『生霊の女』……マサさんの妻の話によると、マサさんが姿を消した直接の原因は、マサさんの『呪いの井戸』が霊的に『破壊』されてしまった為らしい。
あの時か……俺はすぐに思い当たった。
マサさんが寺尾昌弘に『同化の行』を用いて『潜った』あの時だ。
マサさんは俺に、寺尾昌弘の魂が引き込まれていた『世界』からマサさんを引き上げるのに、あの『井戸』を使えと言った。
あの時、『呪いの井戸』は霊的に破壊されたに違いない。
……まさか、あれは、俺に井戸を破壊させるために仕組んだことだったのか?
俺の背筋に冷たいものが走った。
 
『井戸』の崩壊後、マサさんは井戸を封じる『儀式』を行っていたらしい。
そして、『儀式』は完成した。
そう、あの日食のあった朝だ。
マサさんは全身全霊を注いだ『儀式』の後遺症で『五感』を失い、意思の疎通は不可能な状態ということだ。
最後の儀式を行う前に台湾から呼び寄せた治療師……チェンフィの父親が、『屍』状態のマサさんのフォローをしているらしい。
回復には日食の日から49日掛かるということだ。
だが、その49日以内に、井戸の『中身』を封印する『仕上げの儀式』を行わなければならないらしい。
女とキムさんたちの打ち合わせが別室で行われていた。
Pが一服するために外に出ていった。
続いてイサムが「何か買ってきます」と言ってコンビニに出かけた。
香織もイサムに付いて外に出て行く。


2052 :イクリプス ◆cmuuOjbHnQ:2012/12/21(金) 06:37:03 id:Y4grlhQ20

部屋には、俺と男児だけが残った。
俺と彼の目が合った。
子供の癖に、なんて恐ろしい目をしているんだ……俺は、彼の目から目を逸らせなくなっていた。
この子は……間違えなく『新しい子供』の一人だろう。
室内の耐え難い静寂を破って彼が声をかけてきた。
「オジサン、アッパのお友達?」
「ああ……」
『アッパ』という単語の発音、そしてその声で確信した。
マサさんに『移入の行』を行い、『井戸』を探していた俺の背後から声を掛けて導いた主は彼だ。
「オジサンは4番目だからね」
「4番目?何のことだ?」
「直ぐに判るよ」
やがて、キムさんたちの打ち合わせは終わった。
俺たちは2台の車に分乗して、移動を開始した。
マサさんの『井戸』のある、あの場所へ。


2053 :イクリプス ◆cmuuOjbHnQ:2012/12/21(金) 06:38:25 id:Y4grlhQ20

目的地には、意外なほど直ぐに到着した。
まさか、こんな場所にあったとは……俺もPも、イサムたちも驚きを隠せずにいた。
封印の鉄杭は全て引き抜かれて無く、井戸も埋め戻されて痕跡しか残っていなかった。
倉庫も解体されており、民家が一軒残っているだけだ。
残された家に俺たちは上がり込んだ。
懐かしい。
かつて、半年近く過ごした家だ。
居間の床には、鉄枠で補強された立方体の木箱が置かれていた。
俺はイサムと顔を見合わせた。
ヤスさんが話していた『井戸の中身』に違いない。
女が言った。
「この箱をある場所に運び封印しなければなりません。
皆さんは、あの井戸と深い関わりを持っています。
皆さんの中から一人、この箱を運んで頂く方を決めます。
よろしいですね?」
女の言葉には、逆らえない強制力があった。


2054 :イクリプス ◆cmuuOjbHnQ:2012/12/21(金) 06:40:01 id:Y4grlhQ20

一人目はシンさんだった。
老体のシンさんが全身の力を込めて持ち上げようとしたが、箱はビクともしなかった。
二人目はキムさん。
やはり、箱は動かない。
三人目はPだ!
『よせ!その箱に触れるんじゃない!』そう言おうとしたが、少年の視線に射竦められた俺は、言葉を発することが出来なかった。
イサムの方に視線を移すと、イサムも恐怖の表情を浮かべたまま金縛りにでもあったかのように固まっていた。
Pが箱に手を掛け、力を込めた。
「うっ、重い!」
僅かに箱は持ち上がったが、揚げきる事は出来ず、重そうな音を立ててPは床に箱を落とした。
Pに続いて香織が箱に近付いた。
今にも泣きそうな表情でイサムが首を振る。
俺は、香織に声をかけた。
「大の男が持ち上げられないんだ、女のアンタにできる訳がない。
時間の無駄だ。俺が先にやるよ」
俺は覚悟を決めて、箱に手を掛けた。
持ち上げる瞬間は恐ろしく重く感じた。
だが、床から離れると箱は意外な程簡単に持ち上がった。
「……なんだ、軽いじゃないか。……俺で決まりだな」
目を真っ赤にしたイサムが安堵の表情を浮かべていた。
「そうですね。あなたにお願いしたいと思います」


2055 :イクリプス ◆cmuuOjbHnQ:2012/12/21(金) 06:41:47 id:Y4grlhQ20

箱の封印場所は、俺の知っている場所だった。
***神社……かつて、朝鮮から持ち込まれた最悪の呪物『呪いの鉄壷』が封印されていた神社だ。
「この子を連れて、***神社で最後の儀式を行ってください」
俺は少年を連れて山の麓まで車で行き、背中に木箱と儀式の道具を背負って緑溢れる山の奥へと向かった。
麓から目的地まで大人の男の足でも6時間以上掛かる。
川原が見えたところで一泊し、翌朝から川沿いに進んで正午前に目的地の***神社に到着した。
ここまで、俺と少年は一切の言葉を交わさなかった。
それも、儀式の一部だからだ。
俺は、気が狂いそうだった。
少年の視線が心底恐ろしかった。
俺の思考を覗かれている……深層心理、いやもっと深い、俺自身も到達することの適わない『魂の深奥』まで見透かされている、そんな恐怖だ。

俺は少年に食事させてから、洞窟の中で仮眠を取った。
目が覚めると、日が落ちかけていた。
俺はメモを見ながら儀式の準備を進めた。お互いが、用意された数10種類の中から籤で相手の唱える『呪文』を1つづつ選び出した。
短い呪文を交互に唱えながら、以前は鉄壷の収まっていた縦穴の中に起こした火の中に、糸で綴じられた『本』の頁を1枚づつ破って投入した。
恐ろしく単純な『儀式』を続けていると、儀式を行っている自分と、もう一人の自分が分離したような、妙な精神状態になってきた。
穴の中の炎に意識を集中していた俺は、少年の視線が俺に注がれていることに気づいた。
俺は、彼の『恐ろしい眼』を見ないように、さらに炎への精神集中を強めた。
『同化』するかのように、意識が炎の中に入り込む。
だが、次の瞬間、俺と少年の視線が交錯し、俺は少年の眼に魅入られていた。
言葉では表現し難い、異常な状態だ。
そして、炎に集中している意識と、少年の眼に囚われている意識の他にもう一つの意識があった。
その意識が、自問自答しているのか、少年と話しているのか、他の『誰か』と話しているのかは判らないが『会話』していた。
初めは何を言っているのか判らなかったが、会話の内容は徐々に明瞭になっていった。


2056 :イクリプス ◆cmuuOjbHnQ:2012/12/21(金) 06:43:18 id:Y4grlhQ20

「それでは、『呪術』に意味なんて無いじゃないか!」
『そう、人は同じ木の同じ小枝から生えた、1枚の小さな葉。
目の前の他者は、自分自身の一部。それを傷付けることは自らを傷つけることに等しい』
 
『声』は、『新しい子供達』が出現してきた理由を語っていた。
彼らの出現は変化の『予兆』に過ぎない。
『3人目の聖者』は、聖者として転生を重ね、彼らと同じ意識を持ち、彼らと繋がり、過去世からの記憶を全て持っている。
『新しい子供達』とは、転生を重ねて積み重なった経験値が一定のレベルを超えた『古い魂』らしい。
第3段階以降、『古い魂』は徐々に『新しい子供達』と同種の人類として転生し始める。
それと同時に、『過去世』を持たない『新しい魂』も生み出されるらしい。
だが、古い人間である我々も含めて、それらは全て一つの生命体の一部。
人間だけでなく、樹木や動物、山や海、空気や水、土や石までもが、ひとつの生命体の一部らしい。
『声』は、全てを包括する生命体を『樹』と表現した。
個人としての我々は『樹』の末端に生えた1枚の『葉』に過ぎない。
我々古い世代の人間は、末端の1枚の『葉』としてしか『自己』を認識できない。
それ故に、目の前にある別の末端である『葉』を自分とは別の他者として認識してしまう。
だが、他者とは認識の限界から生じる錯覚であり、万物は一つの生命体である『樹』の一部分でしかないのだ。
肉体という殻を持ち、殻の内側に『顕在意識』という個別の意思を持った『葉』は、『枝』との間に壁を作ってしまう。
この『壁』を意識的に乗り越える技術が『瞑想』であり、『呪術』なのだ。
『個』となり、潜在意識、或いは集合的無意識との間に壁を作った人間は、『言葉』を使って末端としての『葉』同士でコミュニケーションを取るようになった。
言葉によるコミュニケーションは『顕在意識』をより強固なものとし、錯覚であるところの『他者』の認識をも強固なものにした。


2057 :イクリプス ◆cmuuOjbHnQ:2012/12/21(金) 06:44:21 id:Y4grlhQ20

『言葉』は、非常に強い力を持っていた。
言葉により思考する人間の強固な顕在意識は、末端でありながら、より『幹』に近い階層の意識……潜在意識に影響を及ぼすようになった。
そして、目の前の他者を自己の一部と認識できなくなった人間は、自己の一部であるところの他者に『呪詛』を仕掛けるようになった。
つまるところ、『呪詛』とは自分自身に向けられた自傷行為に過ぎないのだ。
この世界には、一つの法則がある。
生命体としての『樹』の存続に有益なものは『善』であり、害を成すものは『悪』なのだ。
その意味で、自傷行為である『呪詛』は、世界の法則……『律』に反する絶対的な悪なのだ。
際限なく呪詛を振り撒く存在は、自らを傷つけ冒す病変……癌細胞のような存在で悪である。
一本の大きな『枝』としての人類の『集合的無意識』は、『葉』としての『個』を産み出し、『魂』に経験を積ませて、その記憶を集積することによって『人類』全体の成長を図ろうとしている。
集積された魂の記憶……『歴史』の事実に反する虚偽の言葉を振り撒き、人類全体の『魂』の成長を阻害する存在……それもまた、悪である。
他者への慈愛や赦し、施しは『命』の傷ついた部分に『栄養』を分け与える行為であり、善であり功徳である。
他者からの慈愛や赦し、施しに対する『感謝』は、与えた者に対する『癒し』であり、善であり功徳である。
そして、感謝を受けることにより得られる喜びもまた功徳である。
『布施』は、それに対する『感謝』と両輪となることで、善と功徳の拡大再生産となり、『魂』の成長を促す。
だが、与えられることのみを望み、『感謝』しない存在は『善のサイクル』を断ち切る者であり悪である。
『悪』は生命の『歪み』であり、許容できなくなった『歪み』は生命に備わった『免疫反応』によって消去される。
多くの『個』としての人の死や、『部分』としての民族や国家の滅亡は、歪みを是正する作用として『善』足り得るのだ。
今、この世界は歪みが飽和点に近付きつつある。
第3段階の『新しい子供達』の出現と共に現れるという『過去世』を持たない魂を持つ子供の為に、歪みの全ては是正されようとしている。
その消滅が『新しい子供達』出現の端緒となる『旧世代の偉大な霊力』の持ち主、『3人の聖者』は、急激な是正を食い止める存在らしい。
そして、三段階を経て現れる『新しい子供達』……膨大な過去世を蓄積させた魂は、大きな破滅を経ることなく歪みを是正する為に現れた存在。
緩やかに、穏便に『歪み』を修正する者、『調律者』なのだ。
集合的無意識……或いは生命の『樹』の深い階層、『人類の枝』までを自己と認識できる彼らが、全体としての意思と個別の意識を持つのは当然だろう。
そして、是正され排除されるべき『呪詛』に関わる旧世代の能力者……『悪』の存在が、彼らの意思を『敵意』と感じ、その能力が通用しないのもまた当然のことなのだろう。
 
ここに書いたことは、俺が受け取ったイメージが、俺自身の知識や『個』としての俺の認識力と言うフィルターを通ることによって表現されたものに過ぎない。
だが、どの段階だったのかは判らないが『新しい子供達』と、恐らくは彼の息子を介して『接触』したマサさんは、全ての呪術を捨てる覚悟を決め実行したのだ。


2058 :イクリプス ◆cmuuOjbHnQ:2012/12/21(金) 06:46:19 id:Y4grlhQ20

やがて、朝がやってきて、『儀式』は終わった。
俺は、マサさんの息子に尋ねた。
「なぜ、俺だったんだ?」
彼は俺に、あの恐ろしい視線を向けながら、頭の中に直接響く不思議な声で答えた。
『もうすぐ、妹が生まれるんだ。
妹は、オジサンのことが大好きなんだよ。早くオジサンに会いたいって。
でも、オジサンは妹には会えない。“第3段階”が少し先に伸ばされたから。
オジサンには時間がないからね』
……何を言ってるんだ?
混乱する俺に彼はさらに言葉を続けた。
『オジサンにはチャンスをあげる。僕たちの仲間を救って、守ってくれているから』
「仲間?」
『マミだよ。あの子は、まだ目覚めていないけれどね。
オジサンがいなくなると、あの子が悲しむから……そうなると、あの子は『罪』を犯して、二度と僕らとは繋がれなくなってしまう』
……確かに、マミが生まれたのは1990年……彼女は、第1段階の『新しい子供』だというのか。
『オジサンには、マミと共に、これから生まれてくる3人の子供達……僕らの仲間を守ってもらいたいんだ。
でもね、その為には、オジサンに呪詛を……恨みや怒りの感情を捨ててもらわなければならない』
「俺は……呪詛なんて、とっくの昔に捨てているぞ?」
『そう言う意味じゃないんだよ。オジサンの“血”の中に潜んでいる恨みだよ。
オジサンの中には“鬼”が住んでいる。それを抑えて来たものが失われて目覚め始めているんだ。
自分でも判っているんじゃない?オジサンの体は、それに耐えられる強さがなくて、食べられてしまっているんだよ』
……何を言っているんだ?
『まだ、少しだけ時間があるから、答えは急がなくていいよ。
僕らの提案を受け入れてくれるなら、一言、あの言葉を言ってね。
そうすれば、そこから全てが始まるから』
……あの言葉?俺には何の事か判らなかった。今でも判らない。
マサさんの息子に今一度、訊ねようと思ったが、彼の目からは、あの恐ろしい光は消えていた。


2059 :イクリプス ◆cmuuOjbHnQ:2012/12/21(金) 06:47:34 id:Y4grlhQ20

俺は、メモに記された手順に従って『箱』を封印し、少年を連れて山を降りた。
その足で、キムさんの事務所に向かい、少年を母親の許に送り届けた。
そして、キムさんに宣言した。
「俺は二度と呪術と関わりは持たない。呪術と関わる人間とも関わらない。
これが本当に最後だ。
長いあいだ世話になっておいて、こんな言い草はないと思うが、二度と俺に関わらないでくれ」
「……そうか、判った。だが、ケジメだけは取らせてもらう。
何をしてもらうかはこれから決める。もう一度連絡する。それで本当に最後だ」
 
俺はマミの許に帰った。
時間は恐ろしい速さで過ぎていった。
……とうとう『定めらた日』とやらが、来てしまった。
24日は、二人きりで過ごそう……
翌朝、婚姻届を出しに行って、忘れられない二人の記念日にしよう……マミと交わした約束は恐らく、果たせないだろう。
だが、俺は諦めない。
父との約束通り、最後の瞬間まで足掻き続けるつもりだ。


2060 :イクリプス ◆cmuuOjbHnQ:2012/12/21(金) 06:49:01 id:Y4grlhQ20

我が黄金に燃え立つ弓をよこせ!
我が欲望の矢をよこせ!
我が槍をよこせ!雲よほどけろ!
我が炎の戦車をよこせ!
決して精神の戦いをやめないぞ
我が剣をいたずらに眠らせておくこともしないぞ

 
願わくば、事の顛末を報告したいが、それが出来るかは判らない。
ほんの気まぐれで始めたことだったが、この投稿をくだらない文章を5年間も吐き出し続けたケジメとしたい。
 
 

 

病める薔薇、白い蛇

2017 :病める薔薇、白い蛇 ◆cmuuOjbHnQ:2012/12/21(金) 04:44:35 id:Y4grlhQ20

俺がイサムを伴って実家に戻ってから2・3週間ほど経った日のことだった。
部屋のドアをノックする音で俺は目覚めた。
安眠を妨害され、眠い目をこすりながら俺はドアを開けた。
「誰よ?」
浅黒い肌をした小柄な女が立っていた。
ラーナ……俺が住んでいたボロアパートの住人の一人、アナンドの彼女だ。
二人は同じ職場に勤務している。
「カラテの兄さん、アナンドが大変なの!」
アナンドの部屋に行くと、彼は脂汗を流しながらガタガタ震えていた。
体温計で熱を計ると38度を超えている。
「どうした?」
前の晩、自転車で出勤中に、突然の雨に降られてずぶ濡れになってしまったらしい。
職場まで自転車で30分ほど。
着替えるのが面倒なので、作業服のまま出てしまったようだ。
ずぶ濡れの格好のまま吹き曝しの現場で一晩作業をしていたそうだ。
「この季節に……アホだな。風邪を引くに決まってるだろ。待ってな、薬があるから」
すぐに医者に連れて行ってやりたいところだが、健康保険に入っていない外国人の辛いところだ。
薬を飲ませ、お粥を作って喰わせて、「とりあえず寝ろ」と言ってから、俺ももうひと寝入りすることにした。


2018 :病める薔薇、白い蛇 ◆cmuuOjbHnQ:2012/12/21(金) 04:46:05 id:Y4grlhQ20

何時間寝たのだろうか?
俺は微妙な振動と、誰かの激しい息遣いで目が覚めた。……またか、あいつら。
俺は壁に蹴りを入れて怒鳴った。
「病人が、昼間から盛ってんじゃねえ!」
ボロアパートの壁は薄く、隣の音や声は筒抜けの丸聞こえだ。
時計を見ると、昼の13時を過ぎたくらいか。
30分ほどして、ラーナがノックもせずにいきなり部屋のドアを開けた。
「なんだよ!」
「何をアワテテルの?ソロ活動中だった?」
「するか、アホ!」
「暇なら買い物に付き合って。ゴハンご馳走するよ!」
俺はラーナの買い物に付き合った。
いったい何日分買ったのか判らないが、ダンボールに纏めた食材を俺がアパートまで持って歩いた。
病み上がりのアナンドに食わせるのはどうかとも思ったが、ラーナが作ったマトンのカレー風味の炒め物は、若干香辛料がきつく癖があったが旨かった。
やがて日が落ち、夜になると、昨晩よりも激しく冷たい雨が降り始めた。


2019 :病める薔薇、白い蛇 ◆cmuuOjbHnQ:2012/12/21(金) 04:47:23 id:Y4grlhQ20

23時前くらいだったか、雨が少し弱まったのを見計らって「もう帰るよ」と言って、ラーナがアナンドの部屋を出て行った。
「俺たちも、そろそろ寝ようや」と言って、ビールやチューハイの空き缶を水洗いしてビニール袋に詰めていると、帰ったはずのラーナが慌てて戻ってきた。
「外に誰かいるよ!凄い目で睨まれた。怖いよ!」
こんな土砂降りの深夜に……変質者か何かか?
あまり柄の良い地域じゃないからな……
俺は、表からアパートの2階を睨み付けていると言う『男』を追い払い、徒歩で10分ほどの場所にあるラーナと彼女の女友達の部屋までラーナを送って行くことにした。
ラーナが言ったように、角の電柱のところに誰かが傘もささずに立っている。
「あれか?」
「うん!」
ラーナの慌てた様子に勝手に『男』決め付けていたが、どうも様子が違う。
女?
電柱の所まで近づいてみて、俺は驚いた。
「え?マミ?何で?」
血の気の失せた白い肌に濡れた髪が張り付き、唇は紫色だ。
冷え切った体が震えている。


2020 :病める薔薇、白い蛇 ◆cmuuOjbHnQ:2012/12/21(金) 04:49:13 id:Y4grlhQ20

俺はマミを部屋に上げた。
何時間立っていたのか知らないが、全身ずぶ濡れで、靴の中まで水浸しだった。
直ぐに熱い風呂に入れてやりたいところだが、アパートは風呂なしだ。
15分ほどの場所にある銭湯も、もう閉まってしまっているだろう。
デイバックに入れてきた着替えも全滅だった。
仕方がないので、俺の下着とTシャツ、ジャージを着させた。
マミが着替えている間、俺はマナーモードのまま部屋に置きっ放しになっていた携帯をチェックした。
実家の母から10数件の着信が入っていた。
電話すると1コール鳴るか鳴らないかのタイミングで母が出た。
「俺だけど?」
「何度も電話したのよ。何していたの?」
「ごめん」
「そんなことより、大変なの。マミちゃんが昨日から帰ってこないのよ!」
「ああ……マミなら、俺のところにいるよ。
雨の中、ずぶ濡れでずっと立ってたみたいで……何があった?」
母の話では、俺とイサムが帰ったあと、俺の両親は早速マミに『養女』の話をしたらしい。
マミは「返事は少し待って欲しい」と答えたようだ。
両親も「返事は急がなくていいから、ゆっくり考えて欲しい」と言ったそうだ。
それからマミは、口には出さないが相当悩んでいたようだ。
そして、前日の晩、学校から帰ってくる時刻になってもマミは帰宅しなかった。
夜通し眠らずに帰宅を待った父と母は、朝から心当たりに片っ端から連絡を入れてマミを探していたらしい。


2021 :病める薔薇、白い蛇 ◆cmuuOjbHnQ:2012/12/21(金) 04:50:48 id:Y4grlhQ20

朝晩は結構冷え込む季節にはなっていたが暖房器具はまだ出していなかった。
出しても燃料がない。
「温まるよ」と言って、ラーナがスパイスの効いたネパール風のミルクティーを持ってきた。
「何か、食べられそうか?」と聞いてみたが、マミは小刻みに震えながら首を横に振った。
床を用意して「とりあえず寝ちまいな」と言って布団に入れたが、身体の冷え切ったマミは震えたまま寝付けない様子だった。
「かわいそうに、完全に凍えちゃってるよ。人肌で温めてあげないと、ダメだよ」とラーナが言った。
「人肌って……俺が?」
「他にいないでしょう?」
ラーナの指示に従って、マミをTシャツとトランクス一枚の姿にして、同じような格好になった俺はマミと布団に潜り込んだ。
「嫌かもしれないけど、我慢してくれ」そう言うと、マミは俺の背中に手を回し抱きついてきた。
氷のように身体の芯まで冷え切った感じのマミだったが、腕枕しながら背中を摩っていると、徐々に体が温まり、やがて静かに寝息を立て始めた。

まだ薄暗い時間だったが、知らない間に寝ていた俺は、マミに腕枕していた左腕の痺れで目が覚めた。
腕の感覚がない。
目を開けるとマミの顔があった。
既に目覚めていたようだ。
「ごめん、起こしちゃったか?」と言うと、マミは掌で顔を隠した。
薄暗がりでも耳まで赤くなっているのが判った。
腕を抜いて身体を起こそうとすると、マミは俺の体に腕を回し抱きついてきた。
前々から思ってはいたのだが、俺は改めて思った。
『この娘、かわいいな』
そのまま背中を軽く叩いていると、マミは再び寝息を立て始めた。


2022 :病める薔薇、白い蛇 ◆cmuuOjbHnQ:2012/12/21(金) 04:52:21 id:Y4grlhQ20

やがて、日が完全に昇り、外は明るくなった。
朝食は作るのが面倒なので、前の晩の残り物や、出勤途中に牛丼屋などに寄って定食を喰うことが多いのだが、その日はマミ用に卵粥を作ってみた。
白粥は味がなくて嫌いなので、粉末の鶏がらスープを使って粥を作る。
別の鍋で出汁と薄口醤油を煮立たせてから水溶き片栗粉を投入。
刻んだネギを混ぜた溶き卵と合わせて、粥の上にぶっかける。
目覚めたマミは、食欲は出たようで取り敢えず安心した。
着替えは前の晩にラーナが近所のコインランドリーで洗濯してくれていて、既に乾いていた。
「俺は、これから出勤しなければならないんだ。
昼は適当にやってくれ。あるものは好きなようにしていいし、金も置いていくから外に行ってもいいよ。
話は帰ってきてから聞くから」

仕事から戻ると、部屋がきれいに片付けられ卓袱台の上に夕食が用意されていた。
帰って来た部屋に明かりが点いていて、誰かが待っているというのは良い。
「全部マミが?」
「うん」
実家の母の直伝なのだろう。
味付けが全て俺の好みにピッタリだった。
「……どうでした?」
「美味かったよ。マミは、明日にでも良い嫁さんになれるな。
旦那になる奴が羨ましいね」
「ほんとうですか?」
「ああ、本当だ」
マミが笑った。いい笑顔だった。
この笑顔だけで100万の価値はある。


2023 :病める薔薇、白い蛇 ◆cmuuOjbHnQ:2012/12/21(金) 04:53:39 id:Y4grlhQ20

この雰囲気は壊したくなかったが、俺は敢えて聞いた。
「……家出…だよな。何で黙って家を出てきたりしたんだ?
父さんも母さんも、凄く心配していたぞ?
原因は『養女』の話なんだろうけど……マミは家の娘になるのは嫌か?
まあ、今更『養女』何て形に拘らなくても、父さんや母さんにとっては、もうマミは娘みたいなものだし。
姉さんや久子にとっても可愛い妹だよ?」
「おじさんやおばさんには優しくしてもらって、感謝してもし切れないくらいです。
その上、本当の娘にならないかって言ってもらって、凄く嬉しかったです。
素子さんや久子さんが、お姉さんになってくれるというのも嬉しいです」
「それじゃ何で?」
「私が養女になるってことは、XXさんは私のお兄さんになるってことですよね?」
「そういう事になるな。
まあ、複雑だよな……正直なところ、俺も引っかからないと言えば嘘になるからな」
「多分、XXさんの言ってる意味と私の言ってる意味はズレてると思う……」
「そうか?」
「私、おじさんやおばさんの事は大好きだし、素子さんと久子さんも大好きだから、いい娘や妹になれる自信はあるの。
でも、XXさんの妹にはなれない。多分、ものすごく嫌な女になって、みんなに嫌われる」
「なんで?」


2024 :病める薔薇、白い蛇 ◆cmuuOjbHnQ:2012/12/21(金) 04:55:21 id:Y4grlhQ20

「XXさんに彼女や奥さんが出来たら、私、絶対に嫉妬して意地悪する。
子供が出来たら、その子のことを憎んでしまう。二重の意味で……多分、絶対に。だから、XXさんの妹になるのは無理」
「やっぱり、そっちか……」
「えっ?」
「俺だって、そこまで馬鹿でもなければ、鈍くもないからな。ここに来た時点で判るよ。
……ところでお前、ここが良く判ったな」
「久子さんが教えてくれました。お金も貸してくれて……」
「あの馬鹿!」
「久子さんが言ってました。……XXさんは、亡くなった恋人さんのことを今でも引きずってるから、難しいって。
でも、私なら……生きている私なら、ずっと一緒にいてあげられるから、気持ちを正直に話してぶつかってみろって……
……私じゃダメですか?」
「それは、結婚でもして、一生お前と一緒に居るってことか?
……正直なところ無理だな。俺は嫌だもの」
不味い言い方をしてしまった自覚はあった。
だが、俺の中で一木燿子の言葉がわだかまっていた。
俺が人を愛することを俺たちの一族が対峙している『神』は許さない。
俺の愛した者は俺から引き離され、抵抗して側に居ようとする者は命を奪われる……。
俺が愛した女達、ユファは引き離され苦界を彷徨い、アリサは命を奪われた。
……そう、……俺は、マミを失うことを恐れていた。


2025 :病める薔薇、白い蛇 ◆cmuuOjbHnQ:2012/12/21(金) 04:58:10 id:Y4grlhQ20

俺の言葉に想像以上のショックを受けたらしく、マミは泣き始めた。
「酷い。XXさん……胸が痛いって言葉知ってますか?本当に痛いんですよ……。
XXさんは、私のこと嫌いだったんですか?」
 
激しく泣き始めたマミが少し落ち着いてから俺は言った。
「好きか嫌いかで言うなら、俺はマミのことは大好きだよ。
マミには、ほかの誰よりも幸せになって欲しいと思っているんだ。
だから、周りの全てがお前の敵になっても、俺だけはマミの味方をしてやるよ。
でもな、俺の『好き』は半分位が父親目線なんだ……。
お前が男を連れてきて、父さんたちが反対しても、お前が好きな相手だったら全力で応援するよ。
例えば、イサムとかだったらな。
でもさ、アラフォーのオヤジとか、……俺みたいなのを連れてきたら、絶対に、全力で止めるもの。
相手の男も、二度とお前に近づかないように半殺し以上にはすると思うし」
「……半分ってことは?」
「女としてのお前のことも好きだよ。マミは優しいし、物凄く可愛いからな。
少なくとも、俺にとってお前くらいに良い女はいないよ。
そうやって、泣いてる顔も可愛いけど、お前の笑顔は効くんだよ……ノックアウトだ。
だから俺は、お前の笑顔が見れただけで幸せだ。
それだけで、俺たちの家にお前を迎えられて、本当に良かったと思っているんだ」


2026 :病める薔薇、白い蛇 ◆cmuuOjbHnQ:2012/12/21(金) 05:01:06 id:Y4grlhQ20

「それなら……私が笑えるようになったのはXXさんが居たからじゃないですか」
「そうか?でも、俺はもう、好きな女を喪ったら、二度と耐えられそうにない。
だから逆に、好きな女に、マミにこんな思いはさせられない。
俺は、確実にお前より20年は先に逝ってしまうからな……20年もお前を独りには出来ないよ。
俺が死んだあと、お前が他の誰かのものになるのも嫌だからな。お前より先に死んだら成仏できそうにない。
だったら、父親目線で、お前の幸せを見せてもらった方が余程いい」
「そんな言い方はずるいです。私のXXさんを好きな気持ちはどうなるんですか?」
「マミはさ、『刷り込み』って言葉を知ってるか?」
「?」
「孵化したばかりの鳥の雛が、初めて目にした動くものを親と認識してしまう、一種の本能だ。
お前の気持ちは嬉しいけど、お前のその気持ちは『刷り込み』かも知れないぞ?
お前は三瀬や迫田みたいなクズのような男達に痛めつけられて、大人の男の醜い所ばかりを見せつけられてきたからな。
初めて男に優しくされて勘違いしているのかもしれないぞ?
死の淵から自分自身を救い出そうとする生存本能に騙されてな。
俺も、連中と中身は大して変わらないのだけどな」 
「そんな言い方は酷いです。それに、XXさんは、あんな奴らとは絶対に違います!」
「ありがとうよ。
でもな、お前の倍生きてきた経験から言うと、若い時の気持ちを余り真に受けない方がいい。
今のお前の気持ちが嘘だと言っているんじゃないぞ?
でもな、色々な出会いや経験を重ねて行く内に変わって行くものなんだ。
マミは、同じ年頃の女の子が普通に経験すべきことをまだ余り経験していないからな。
人並みに学んで、人並みに遊んで、人並みに恋をして、泣いたり笑ったりして欲しいんだ。
まだ、学校にだって通い始めたばかりだろ?
……そうだな、お前がちゃんと高校を卒業して、その時、まだ俺のことを好きでいてくれたら、先のことを真剣に考えさせてもらうよ。
それまでに好きな男ができたら、俺に遠慮なんてしないで、そいつと幸せになれ。
どんな結果になっても俺はお前の味方だし、祝福するよ」


2027 :病める薔薇、白い蛇 ◆cmuuOjbHnQ:2012/12/21(金) 05:04:14 id:Y4grlhQ20

「私の気持ちは変わりません。絶対に……今の話、約束ですからね!」
「ああ、俺の方の話は約束だと思ってくれていい。他に女を作る気も当てもないしな。
でも、お前の方は、約束だなんて思わなくていい。
好きな男が出来たら、俺の事なんて忘れてしまえ。
どんな結果になっても、お前は俺たちの家族だからな。遠慮なんてする必要はない」
 
……何を口走っているんだ、俺は!
俺は自分自身に驚いていた。
そして、一木燿子に『夢はないか?』と問われて答えた『俺の望み』を思い出していた。
いつからなのかは判らない。
俺はマミと、燿子に語って聞かせた『夢の生活』を送ることを望んでいる。
アリサを喪ってから俺を捉え続けていた喪失感が、何がどうなろうと構わないといった、投げ遣りな感情が消えているのに気がついた。
アリサへの思いが嘘だったと言う訳ではない。
ついさっき、マミに語ったように、俺自身が変わったのだ。
それが、チェンフィの『治療』の効果なのか、マミとの出会いがもたらしたものなのかは判らない。
だが、俺は強く思っていた。
『生き続けたい』と。


2028 :病める薔薇、白い蛇 ◆cmuuOjbHnQ:2012/12/21(金) 05:06:46 id:Y4grlhQ20

マミは、なかなか帰りたがらなかった。
正直な気持ちを言うなら、マミが傍にいるママゴト生活は、俺にとって心地良いものだった。
だが、実家の両親も心配しているし、学校をいつまでも休ませる訳にも行かない。
渋るマミに俺は言った。
「学校もあるのだし、明日、お前は家に帰れ」
「……嫌です」
「言っておくが、お前が留年したり、学校を卒業できなかったら、あの話は無効だからな!」
そう言うと、マミはやっと実家に戻ることを了承した。
マミの希望で、俺はマミをバイクで実家まで送ることになった。
マミの荷物はラーナが大量に持たせた『お土産』と共に宅急便で実家に送った。
少しダブついたがパッド入りの革ジャンを着せ、予備のヘルメットを被らせた。
ショウエイのMサイズはマミには若干大きいか?
オリジナルのペイントが施されたこのメットは、アリサから最後に貰ったプレゼントだ。
「この匂い……」
「あ、ゴメン、臭かった?」
「いいえ。ただ、これがXXさんの匂いなんだなって思って……嬉しくって」
……やっぱり、実家に連れて帰るの止めようかな……とも、思ったが、タンデム中の注意をして、俺たちは実家へ向けて出発した。


2029 :病める薔薇、白い蛇 ◆cmuuOjbHnQ:2012/12/21(金) 05:08:26 id:Y4grlhQ20

実家に着くと、エンジン音を聞きつけたのだろう、両親がすぐに出てきた。
タンデムシートから降りると、メットを外す間も与えずに母がマミを抱きしめた。
「お帰り、マミちゃん!もう、この娘は心配させて……XXに、変なことされなかった?」
メットを外したマミが俺を見る。
父と母の視線も俺の方に……
「なんだよ、俺は何もしていないって!」
「おじさん、おばさん、心配をかけてごめんなさい……。
あの……養女にならないかというお話……有難くって、すごく嬉しかったけれど……お受けすることはできません。
わがままを言って、ごめんなさい」
「そのことは、もう、いいんだよ。
私たちの方こそ、気づいてあげられなくてごめんな。久子から、話は全て聞いたよ」
「私、ここにいても良いのですか?」
「当たり前じゃないか。どんな形であれ、マミちゃんは家族の一員だよ」


2030 :病める薔薇、白い蛇 ◆cmuuOjbHnQ:2012/12/21(金) 05:09:47 id:Y4grlhQ20

夕食が済んだあと、俺は父の部屋に呼ばれた。
「たまには付き合えよ」
グラスに父が医者に止められるまで好んで飲んでいたマッカランが注がれた。
「いいのかよ?」
「いいだろ、今日くらい」
「氷は?」
「相変わらず、酒の飲み方を知らないな。そのままで飲むんだよ」
 
「お前とマミちゃんのこと、驚いたよ」
「ああ、自分でも驚いているよ。孫は抱かせてやれそうにないんだけどね」
「そんなことは気にしなくていい。
お前たちが生まれて、父さんも母さんも幸せだった。
でも多分、お前たちが生まれなくても、父さんと母さんは幸せだったと思うよ。
お前は、マミちゃんと幸せになれば、それで良い。
ありのままのあの子を愛してやればいいんだ。その酒みたいにな」
「俺は……いい息子じゃなかったけど、これで親孝行の真似事位は出来たのかな?」


2031 :病める薔薇、白い蛇 ◆cmuuOjbHnQ:2012/12/21(金) 05:12:27 id:Y4grlhQ20

「いや、お前は十分に親孝行をしているよ。
素子も、とても小さな赤ん坊だったが、あの子は元気で生命力に溢れた子だった。
でも、お前は今にも死にそうで、母さんにはとても言えなかったが、まともに育つようには思えなかった。
親として、幼い我が子を看取ることほど辛いことはない。
お前は生き続けて、ちゃんと育ってくれた。それで十分だよ」
父の言葉は、俺の胸に刺さった。
俺は、グラスの酒を飲み干した。
そして、これまでの事全てと、一木貴章と燿子に聞いた話を父に話した。
「全て知っていたよ」
「え?」
「自分の親をあまり侮るものではないよ」
「侮ったことなど一度もない。これまでも、これからも!」
「そうか。それならば良い。
私が日本に帰ってきてから……帰ってきたというのは正確ではないな。
この国に来て、田舎を出るまでにあったことをお前たちに話さないのは、お前たちに私の『怨念』を引き継がせたくはないからだ。
だから、爺さんの葬式の時に、田舎と縁を切ったのだ。
……確かに、これは宿命ってやつなのかも知れないな。
でもな、俺はお前が『宿命』とやらを口実に諦めたり、投げ出したりすることは許さない。
お前にはマミちゃんが居るのだから。
足掻けよ。とことん、……最期の瞬間までな。
もしもの時は家族が、俺や母さん、素子や久子がマミちゃんを支えるから」


2032 :病める薔薇、白い蛇 ◆cmuuOjbHnQ:2012/12/21(金) 05:14:51 id:Y4grlhQ20

「役に立つか判らないけれど、これを持って行け」
父は棚の引き戸から何かを取り出した。
黄色く変色した新聞紙を剥がすと一枚の絵が出てきた。
白い大蛇をその身に纏付かせた女神?が描かれていた。
ただの絵ではない。
見ているだけで、足元からゾワゾワと何かが登ってきて、血の気が失せ頭がクラクラする。
全身の血液ごと魂を引き込まれる……そんな感じだ。
何なのだ、この絵は?
「感じるか?」
「ああ……。何なんなの、この絵は?」
「坂下家の娘……佐和子ちゃんのこと覚えているな?」
「……覚えているよ」
「あの子が描いたものだ」
「……いいのかよ、持って行ってしまって」
「いいんだよ。その絵は、あの子がお前にって遺したものなのだから」


2033 :病める薔薇、白い蛇 ◆cmuuOjbHnQ:2012/12/21(金) 05:17:14 id:Y4grlhQ20

「その絵の女はな、お前が生まれる前の晩、母さんの夢枕に立った女神……或いは悪魔なのかもしれないが……それにソックリらしい。
お前に、ということで預かったのだが、あまりの禍々しさに今日までお前に見せることはできなかった。
今、お前にしてやれることは他に思いつかないが……マミちゃんのことは任せておけ。
お前は全てにケリを付けて、生き残って、マミちゃんとの約束を果たすことだけを考えろ」
「判った」
部屋を出るときに父が言った。
「マミちゃんの花嫁姿、綺麗だろうな」
「ああ。俺だって、あいつにウェディングドレスを着せてやりたい」
「お前が愛想を尽かされて、振られたら全てパァだけどなw」
「そういうことを言うか!」
「それが嫌なら、マメにマミちゃんに会いに帰ってこい。
あの娘と、俺たちの時間の感覚は違うんだ。
寂しがり屋のあの子を放っておいたら、誰かに横から攫われてしまうぞ?
そこまでは俺も責任はもてないからな!判ったか、バカ息子!」
「判っているよ、クソ親父!」


2034 :病める薔薇、白い蛇 ◆cmuuOjbHnQ:2012/12/21(金) 05:19:45 id:Y4grlhQ20

俺は、絵を持って一木燿子を訪ねた。
「あなた、僅かな時間だったけど、随分と雰囲気が変わったわね?」
「そうかな?……ただ、どうしても死にたくない、死ねない理由が出来たものでね。
悪あがきして『定められた日』とやらを回避したくなったんだ」
「あなたの『夢』は叶いそう?」
「ああ、叶えたい……絶対にな!
それで、……これを見て欲しいんだ」
俺は、燿子に問題の『絵』を見せた。
「凄いわね……」
「判るのか?」
「ええ、なんとなくだけどね。
これ程のものだと……描いた人は、亡くなっているでしょうね。
全身全霊をこの絵に注ぎ込んで。……この絵は、そういった類のものよ」
「坂下家の最後の『娘』が俺に遺した物らしいです。
何故俺になのかは判らないのだけど。
ただ、父が言っていました。
この絵の女は、俺が生まれる前の晩、母の夢枕に立った『女』にソックリらしいです。
女神なのか、悪魔なのかは判りませんが」


2035 :病める薔薇、白い蛇 ◆cmuuOjbHnQ:2012/12/21(金) 05:22:19 id:Y4grlhQ20

「私には、判断は下せない……この手の呪物の専門家に依頼してみましょう」
「専門家?」
「榊さんの奥さんよ」
絵は、榊家に持ち込まれ、榊婦人による霊視が行われた。
一木燿子も貴章氏も驚いていたが、榊婦人の霊視は佐和子の『絵』には通用しなかった。
しかし、意外な人物から『絵』に描かれて居た女の正体がもたらされた。
奈津子だった。
『絵』に描かれている女は、いつも俺を見ているらしい。
女が身に纏わせている『赤い眼をした白い蛇』は、俺に纏い付いている『青い眼をした白い蛇』と番だということだ。
青い眼をした白い蛇?
白い蛇を纏付かせた女が、恐らく、俺の一族と対峙している『神木の主』、先祖の住んでいたという村で信仰されていた『神』であることは俺も予想していた。
一木燿子の見立ても、霊視が利かず確証はなかったが、同じだった。
だが、奈津子の見立ては予想を裏切った。
『絵』の女は、『人柱』に捧げられた女だという事だ。
そして、奈津子によると、俺に纏付いている『青い眼をした白い蛇』はかなり弱っているらしい。
訳が判らなかった。
そして、一木貴章が言った。
「こんなことは初めてだが、先に君に話した『見立て』に確信が持てなくなった。
我々は、重大な何かを見落としているような気がする……君の『魂の二重性』を含めてね。
姉、燿子の見通した『定められた日』になれば判るのかもしれないが……それでは間に合わない。
もう一度、洗い直してみる。
絵は我々で預からしてもらおう。良いね?」


2036 :病める薔薇、白い蛇 ◆cmuuOjbHnQ:2012/12/21(金) 05:24:17 id:Y4grlhQ20

一木姉弟、そして、榊夫妻が俺のために動いてくれることになった。
だが、それは俺が抜けたくて堪らなかった呪術の世界に留まり続けなければならないことを意味していた。
マミの為に、一刻も早く全てにケリを付けるつもりだったが、それは出来なくなった。
俺は、立ち去りたくて堪らなかった呪術の世界に留まり続けた。
その間、マサさんが姿を消し、長年住んでいたボロアパートが燃えた。
そして、マミとの約束の日が近づいてきた。
結局、事態は何の進展も見せずに、時間だけが空費された。
一木燿子の見立てによる『定めらた日』は近い。
俺は、『定めらた日』を回避することを諦めた。
……残された僅かな時間を無駄にはしたくない。
一秒でも長く、俺はマミと一緒に過ごしたかった。
俺は、キムさんに辞表を提出して実家に戻った。
こんなことが通用する世界ではないのは百も承知だ。
だが、俺にはマミと、そして家族と過ごす残された1分、1秒の時間が重要なのだ。


おわり

 

傷跡

1947 :傷跡 ◆cmuuOjbHnQ:2012/12/19(水) 06:35:33 id:cFFR5zTA0

木島氏の元から戻った俺はしばらく悩んでいた。
悩みの原因は、マサさんの『叔母』、一木燿子の霊視だった。
燿子の言うところの『定められた日』……俺の死期はそう遠いものではないらしい。
そのこと自体は、少し前の俺にとっては大した問題ではなかった。
そう、アリサを失ってからの俺にとっては、どうでも良いことだったのだ。
失って惜しいモノは何もないと、イサムと出かけたロングツーリングを利用して、失踪しようとまで考えていた。
だが、今はそうもいかない。
俺には、どうしても片付けなければならない問題があったのだ。
俺は、実家に電話を入れると、イサムを誘ってバイクで実家に戻った。
 
実家に戻ると、両親と妹、下宿して定時制高校に通う真実(マミ)が俺たちを迎えた。
「この馬鹿息子!マミちゃんを預かる条件として約束したわよね?
どんなに忙しくても、月に一度は帰ってきなさいって!
片道3時間の所に住んでいるくせに、何ヶ月帰ってこなかったの?約束が違うでしょ!」
「ごめんなさい……」マミが母に謝った。
「何で?マミちゃんが謝る必要はないでしょう?
あなたはウチの娘なんだから、嫌だと言っても、お嫁に行くまで家に居てもらうわよ」
「悪かったよ。理由はコイツに聞いてくれよ」
俺は、家族にイサムを紹介し、イサムは俺とロングツーリングに出かけていたことを話した。


1948 :傷跡 ◆cmuuOjbHnQ:2012/12/19(水) 06:37:22 id:cFFR5zTA0

「先輩の妹さんって、美人ですよね。スタイルも良いし」
「そうか?でも、アイツは止めておいた方が良いぞ」
「なんで?」
「……性格が無茶苦茶キツイからな。軽い口喧嘩でも、情け容赦なしに人の心を折りに来るぞ?
それに、腐り切って三次元の男に興味がない上に、ガチ百合だ。結婚とかするタマじゃねえ。
お陰で、完全に、パーフェクトな嫁き遅れだ。あんなの貰ったら人生の不良債権化間違えなしだ」
「……そこまで言います?」
「ああ。お前も今頃、受けだの攻めだのって、くだらない妄想のダシにされているかもな」
「……」
「それより、マミちゃんはどうよ?あんな腐った年増の不良債権女より、お前にはピッタリな子だと思うけどな」
「ああ、確かに可愛い子ですよね。ただ、影があるというか……訳ありっぽいな、と」
「やっぱり、判るか……」
「ええ。……姉さんと、似た雰囲気があるから。何となくね」
「でも、すごく良い子なんだ。仲良くしてやってくれ」
 
そんなことを話していると、妹が夕食の準備が出来たと呼びに来た。
「黙って聞いていれば人のことを悪し様に言いたい放題。私は腐女子でもレズでも何でもないって言うの!
私だってね、炊事洗濯、家事一般が完璧でいつも家にいてくれる可愛い子が居れば、いつでも結婚してやるよ?
別に稼いでこなくても、しっかり喰わせてやるし。忙しくて出会いがないだけだって!」
「お前なぁ、そう言うのを世間一般では『嫁』って言うんだ。……こんなオヤジ化した年増女じゃ誰も相手にしないよ」
「イサム君、こんなクソ兄貴を相手にすると馬鹿が移るよ?せっかくイケてるのに、もったいない」
「お兄ちゃん、晩御飯食べたらお父さんの部屋に来てね。話があるそうだから」
 
マミは、俺と妹の久子が両親に頼み込んで実家で預かって貰っていた。
今でこそ、家事一般を積極的にこなし、定時制ではあるが高校に通うなど外出もできるようになったが、ここまで道のりは平坦ではなかった。
俺たちの実家に来た頃のマミは心身ともにボロボロに傷付いて、自殺の可能性すらあったのだ。
マミを実の娘……或いは、抱く事の叶わなかった孫のように可愛がってくれた俺の両親と、主治医としての久子のケアのお陰だろう。
俺とマミの出会いは、奈津子と出会った事件の後、マサさんが静養中だった頃に遡る。


1949 :傷跡 ◆cmuuOjbHnQ:2012/12/19(水) 06:40:13 id:cFFR5zTA0

俺は、中学時代の友人の葬儀に出席していた。
ヒロコは3年生のときのクラスメイト、リョウタは水泳部で一緒だった。
中学時代のヒロコは、かなりぽっちゃりしていたが明るい性格で、友人的な意味で男子からも女子からも人気のある子だった。
リョウタは少々お調子者だったが、イケメンでスポーツ万能なヤツだったので、密かに思いを寄せていた女子は多かった。
同学年や後輩の女子にリョウタのことを相談されたことは2度や3度では無かったので間違いない。
ヒロコもそんな中の一人だった。
ヒロコがリョウタの事を好きだったのは公然の秘密だった。
だが、多くの女子に思いを寄せられていたリョウタは、1学年上の先輩一筋だった。
全く相手にされていなかったのだが、リョウタは周りに自分の思いを公言していた。
基本的にアホだったリョウタが、先輩の進学した学区で2番目の高校に猛勉強して進学したのは恋のパワー成せる業だったのだろう。
高校進学後、先輩に告白してフラれた話は、度々本人がネタにしていたので、仲間内では笑い話になっていた。
そんなリョウタとヒロコが大学生の頃に学生結婚したのには驚かされたものだ。
俺は、結婚式には身内の不幸があったので参加できなかったが、祝電を送ったのを覚えている。


1950 :傷跡 ◆cmuuOjbHnQ:2012/12/19(水) 06:42:14 id:cFFR5zTA0

中学の同級生で葬儀に来ていたのは、ヒロコと小学校から大学まで一緒で仲の良かったマサミと、リョウタと仲が良く同じ高校に進学した吉田。
卒業から20年も経つと、仲が良かったとしても中学時代の友人の参列者はこんなものだろう。
明日、俺が死んだとしても、葬儀に出席しそうなのはPとその他数名といった所だろう。
それだって、多い方に違いない。
ヒロコとリョウタの死因を結婚後も付き合いのあったマサミに聞いてみた。
暖房器具の不完全燃焼による一酸化炭素中毒だったらしい。
……今時、そんなのありかよ。
だが、年代物のボロアパートに住んでいた俺も注意することにした。
俺にヒロコとリョウタの葬儀の連絡をしてきたのは藤田という男だった。
3年生の時のクラスメイトと言っていたが、俺に藤田の記憶は全く無かった。
手元に卒業アルバムもなかったので確認の仕様も無かったが、担任の先生の名前と他のクラスメイトの名前は合っていた。
失礼な話だが、俺の方が忘れていただけだろう。
俺は吉田に尋ねた。
「藤田って来てないよね?
俺は、藤田から連絡を貰って葬儀の事を知ったんだけどさ」
「藤田?ああ、確か、そんなヤツがいたな。
でも、お前、藤田と同じクラスだったことってあったっけ?」
「実は、覚えが無いんだよな。どんなヤツだっけ?」
「俺も、お前に名前を聞いて思い出したくらいで、殆ど覚えが無いんだよな」
「そうか」


1951 :傷跡 ◆cmuuOjbHnQ:2012/12/19(水) 06:43:36 id:cFFR5zTA0

俺は、マサミと吉田と暫く話した後、少々距離はあったがタクシーを待つのも面倒なので、歩いて駅へ向かっていた。
駅に向かって歩いていると後方から声を掛けられた。
「おい、XXだろ?俺だよ、藤田だよ!」
顔に見覚えは無かったが、声には聞き覚えがある。
俺の携帯に電話を掛けてきた声の主だ。
メタボって禿げ始めていた吉田も初めは誰か判らなかったので特に疑問は持たなかった。
「おう!遅かったんだな」
「ああ。先に用事があってな。一足違いだったみたいだな」
俺と藤田は、どうでも良い話題を話しながら駅へ向かって歩いていた。
駅が近付いてくると藤田が急に話題を変えた。
「Pに聞いたんだけどさ、お前、拝み屋って言うの?『そっち系』の仕事をしているんだって?」
俺は答えに困った。
クライアントや仕事の関係者以外に俺の『裏の仕事』の事は知られたくないからだ。
俺の家族さえ俺の『裏の仕事』の事は知らないのだ。
俺の家族とキムさんや権さん達との間には、俺の入院中の見舞いなどで面識はあったが、姉を除いて只の勤務先の上司としか思っていなかった。
Pもそのことは知っている。Pは口の軽い男ではない。
「どうしても、相談に乗ってもらいたいことがあるんだ。話だけでも聞いてくれないか?」
渋々だったが、俺は藤田と近くのファミレスに入った。


1952 :傷跡 ◆cmuuOjbHnQ:2012/12/19(水) 06:44:37 id:cFFR5zTA0

「お前さ、『エンジェル様』事件って覚えている?」
「ああ」
『エンジェル様』とは、降霊術の一種として有名な『コックリさん』の数あるヴァージョンの一つだ。
俺が中学2年生だった頃、この『エンジェル様』が俺の通っていた中学校と近隣の小学校で大流行したのだ。
俺は余り興味が無かったので参加しなかったのだが、休み時間になると教室の何箇所かでエンジェル様に興じる連中がいたことを覚えている。
藤田の話を聞いていて思い出したのだが、この『エンジェル様』の流行は妙な方向へと流れて行った。
『自分専用』のエンジェル様を『呼び出す』連中が現れたのだ。
上手く説明し難いのだが、漫画『ジョジョの奇妙な冒険』の『スタンド』みたいなものか?
異常に盛り上がったオカルト熱と、所謂『中二病』の複合感染みたいなものだったのだろう。
だが、この自分専用のエンジェル様を『降ろせる』と称する連中を中心に、クラスの中に『派閥』のようなものが形成されていった。
派閥同士が対立して、教室内の雰囲気が妙に殺伐としていたのを覚えている。
そんな中で『事件』が起こった。
授業中に隣のクラスの女生徒が錯乱状態に陥って暴れたのだ。
隣の教室から他の女生徒の悲鳴と騒ぎが聞こえてきた。
確か、俺達のクラスは『保健』の授業をしていたと思う。
ごついガタイをした男性体育教師が廊下に出て行った。
恐らく、その体育教師は女性徒を取り押さえようとしたのだろう。
だが、体育教師が女性徒に殴られ騒ぎは更に大きくなった。
怪我の内容は知らないが、殴られた体育教師は重傷だったらしく事件のあと1ヶ月ほど休職した。
取り押さえようとした教師を振り切った女生徒は俺達の教室にやってきて、鉄製のドアに嵌め込まれたガラス窓を素手で叩き割った。
割れたガラスは厚さが1cm近くあって、成人男性が力いっぱい殴ったとしても素手で割るのはかなり難しそうだった。
それを細身の女生徒が叩き割ったのだ。


1953 :傷跡 ◆cmuuOjbHnQ:2012/12/19(水) 06:46:42 id:cFFR5zTA0

俺や他の傍観組は、初めは女生徒の『芝居』だと思っていた。
『エンジェル様』はエスカレートして、トランス状態に陥った『振り』をするヤツや、『口寄せ』の真似事までするヤツが現れていたからだ。
だが、錯乱した女生徒の起こした事件は、傍観組も騒然とさせた。
俺達の教室のあった校舎の階は大混乱となり、その日の授業はその時間で中止となり、2年生は全員下校となったのを覚えている。
学校側は事態を重く見てエンジェル様は禁止された。
当然の措置と言えるだろう。
その後も、隠れてエンジェル様を行っているところを見つかって反省文を書かされた連中もいた。
だが、学年が変わるころにはエンジェル様の流行は完全に終息していた。
問題の女生徒は、確か卒業アルバムに名前があったので転校などはしていないはずだが、その後、学校で姿を見ることはなかった。

「あれって、殆ど自作自演だっただろ?今となっては、恥ずかしい青春の1ページってやつ。お前も、やってたクチ?」
「ああ、確かに。皆で握っていた鉛筆を動かしたりしてさ。でも……」
「でも?」
「俺、ヒロコ達とエンジェル様をやったことがあるんだ」
「ああ、アイツ、そう言うの好きそうだったからな」
「その時、みんなで握っていた鉛筆を動かしたんだ。ヒロコはリョウタと結婚するって。
ほら、ヒロコがリョウタのことを好きだったのはみんな知ってたからさ」
「それで?」
「ヒロコのヤツが『子供は何人?』って聞いたから、オチを付ける位の軽い気持ちで動かしたんだ。
子供が生まれる前に2人とも死ぬって。……知ってる?ヒロコってお目出度だったんだぜ!」
「ただの偶然だろ?」
「それじゃ、青木のことは知ってる?」
「確か、ブラバンやっていたヤツだよな?
クラスも一緒になったことないし……しらない」
「高校生の時、海で溺れて死んだんだ」
「へえ……」
「やっぱり、その時動かしたんだ、『3年後に溺死』って」
「それで?」
「その時のエンジェル様で出たんだよ」
「何が?」
「俺が死ぬって……首を吊って自殺するって!」


1954 :傷跡 ◆cmuuOjbHnQ:2012/12/19(水) 06:48:16 id:cFFR5zTA0

「それって、お前が動かしたの」
「俺じゃない!」
「それじゃあ、お前と同じように他の誰かが動かしたんだろ?
お前自身に首を括る予定は無いんだろ?考え過ぎだって」
「でもさ、あの時の『エンジェル様』を仕切っていたのは川村だったんだよ!」
川村とは、錯乱して事件を起こした、問題の女性徒だ。
「そう言えば、川村ってどうなったの?
確か、卒業アルバムに名前は有ったはずだけど、あの後、学校に来ていなかっただろう?」
「川村は、何軒か医者に掛かったり、あちこちで御祓いを受けたみたいだけど、結局、元には戻らなかったんだ。
両親が離婚して、今も母親の実家にいるよ」
「詳しいんだな」
「幼稚園の頃からの幼馴染だからな」
「その時、他に『エンジェル様』をやっていたヤツっているの?」
「川村と青木、ヒロコと菅田、それと川上だ」
川上は、俺が高校時代に付き合っていた彼女『由花(ユファ)』が中学卒業まで使っていた通名だ。
ユファの事は別れ方が最悪だったので、聞きたくなかった。
「ふうん。……そう言えば、菅田ってヒロコ達と仲良かったよな?
今日は来てなかったけど、今、どうしているか知ってる?」
「知らない」
菅田は、幼稚園入園前からのユファの幼馴染で、いつもユファと一緒にいた子だ。
大人しいが、非常に頭の良い子だった。
成績は、学年で常にトップクラスだった。
気が強く口煩い姉と妹に挟まれた中学時代の俺は、活発なタイプのユファよりも、物静かで大人びた雰囲気の菅田に惹かれていた。


1955 :傷跡 ◆cmuuOjbHnQ:2012/12/19(水) 06:50:32 id:cFFR5zTA0

「とにかく、気にしすぎだと思うぜ?
どうしてもと言うなら御祓いの紹介くらいはするけど。
気になって眠れないとかなら、心療内科でカウンセリングでも受けた方が良いよ。
御祓いなんて、所詮、気休めでしかないからな」
そう言って、俺は藤田と別れた。
 
後日、Pに会ったとき、多少の抗議を込めて藤田と彼に聞いた事を話した。
睨む様な目付きでPは俺に向かって言った。
「お前は、その時、何も気付かなかったのか?」
「何のことだ?」
「俺は藤田にお前のことを話したりはしていない。
それは無理な相談だからな。
藤田は、ずいぶん前に死んでいるよ」
「……本当か?」
「本当だ。俺達が高校に進学して直ぐだよ。首吊り自殺だ。
藤田のお袋さんは、ウチの店でずっとパートで働いていたからな。通夜にも行ったよ」


1956 :傷跡 ◆cmuuOjbHnQ:2012/12/19(水) 06:53:02 id:cFFR5zTA0

俺は言葉を失った。
Pは、彼の知っている事情を話し始めた。
藤田と川村、青木は幼稚園の頃からの幼馴染だったらしい。
俺に藤田についての記憶が無いのは無理の無いことだった。
藤田は1年生の3学期から不登校となり、その後、1度も登校していないからだ。
藤田の不登校の原因は、川村、青木を中心とするグループによる『いじめ』だった。
いじめグループにはユファも居たそうだ。
クラス内で求心力のあった川村たちの行動に異を唱える者はいなかった。
藤田へのクラスメイトのいじめはエスカレートして行った。
そんなクラスメイト達の行動を諌めた者が一人だけいた。
ユファの幼馴染、菅田ミユキだった。
だが、菅田の諌言は、いじめグループの行動の火に油を注ぐ結果となった。
藤田は、菅田の目の前で下半身を裸にされて、射精するまでセンズリを扱かされたらしい。
耐え難い、惨い虐めだ。
菅田の前で藤田にセンズリを扱かせようと提案したのはヒロコだったそうだ。
翌日から、藤田が登校することは二度と無かった。
藤田が不登校になると『いじめ』のターゲットは菅田に変わったようだ。
1学年11クラスあった中での他のクラスの事でもあったし、当時の俺は全く気付かず、今、Pに聞いて初めて知った事実だった。


1957 :傷跡 ◆cmuuOjbHnQ:2012/12/19(水) 06:55:09 id:cFFR5zTA0

「待てよ、それじゃ、藤田が『エンジェル様』に参加するのは……」
「まあ、常識的に考えて無理だろうな。でも、お前の話は大筋で合っているよ。
ところで、お前さ、『エンジェル様』のルールって知ってる?」
「知らない。やったこと無いからな」
「他ではどうだか知らないけれど、俺達の学校で流行った『エンジェル様』は、必ず5人でやるんだよ。
それ以上でも、それ以下の人数でも駄目なんだ」
「えっ?……川村、青木、ヒロコ、菅田、ユファで5人だぞ?」
「……或いは、エンジェル様の鉛筆を藤田が動かしたと言う話は、本当なのかもしれないな」
俺は気になって、Pに疑問をぶつけた。
「お前、随分と事情に詳しいんだな?」
Pは、これまでの長い付き合いで始めて見せるような、苦い表情で言った。
「いま、俺が関わっている案件のクライアントに関わることだからな……。
中学時代の同級生を当たって調べたんだよ。
お前の為にも、クライアントの為にも、お前だけには知られたくは無かったんだ。
だが、こんな形でお前に知れるのは、何かの縁なんだろうな」
 
思いもしなかった形で、過去の黒い影が俺を捉えた瞬間だった。


1958 :傷跡 ◆cmuuOjbHnQ:2012/12/19(水) 06:57:00 id:cFFR5zTA0

後日、俺はPのクライアントに引き合わされた。
高校時代、俺の彼女だったユファの幼馴染で、中学時代の同級生だった菅田ミユキだった。
ミユキが現れたことも驚きだったが、俺を見た彼女の反応は更に俺を驚かせた。
「P君、なんでXX君を連れてきたの!」
物凄い剣幕だった。……女のヒステリーは苦手だ。
俺は彼女に嫌われるようなことをしていたかな?
少々怯み気味に俺はミユキに言葉を掛けた。
「久しぶり……その、なんだ、俺がここに来ちゃ不味かったのかな?」
Pはミユキを宥めながら、俺がここに来た理由、藤田と『エンジェル様』に関わる話を説明した。
Pの説明の後、俺はミユキに尋ねた。
「何があった?」
Pは一通のミユキ宛の封書を取り出した。
中には紙が一枚。
『エンジェル様』の文字盤だ。
文字盤には赤いペンで、このような文句が書かれていた。
「呪。****」
ミユキによると、****とは、川村が呼び出したと言う、彼女専用の『天使』の名前だそうだ。


1959 :傷跡 ◆cmuuOjbHnQ:2012/12/19(水) 06:58:48 id:cFFR5zTA0

「私、藤田君に恨まれているのかな?」
「藤田の不登校の原因になった『あれ』か?
お前は、他のクラスメイト達を諌めて止めようとしたんだ。
『あれ』は、その結果に過ぎない。恨むならもっと恨むべき人間がいるはずだ。
それとも、他に何かあるのか?」
「うん。あのことがある少し前、私、藤田君に告白されたんだ。
嬉しかった。……でも、断ったの。私、他に好きな人がいたから」
「……そうか、でも、それは仕方の無いことだろ?」
「でもね、その事で藤田君、クラスの皆にからかわれていたから。
私が原因なのに、私が余計な口出しをしたから、あんな酷いことをされて……」
「でも、それで藤田がお前の事を恨むとかは無いと思うぞ?」
「そうかな?……そうだと良いのだけど。
……藤田君、死んじゃったんだね。わたし、全然知らなかった」
ミユキはボロボロと涙を流しながら嗚咽を漏らした。


1960 :傷跡 ◆cmuuOjbHnQ:2012/12/19(水) 07:00:06 id:cFFR5zTA0

俺は、ミユキが泣き止むのを待って質問した。
「封書の差出人に心当たりはあるの?」
ミユキは中々答えようとしない。
答えないミユキに代わってPが口を開いた。
「お前には知られたくなかったが……由花(ユファ)だよ」
「ユファが何故?お前たち、仲が良かったんじゃないのかよ?」
ミユキは興奮気味に言った。
「私たちが仲が良かったって?本気で言ってる?
XX君って、素直って言うか、本当に昔から鈍いよね。
だから、ユファに裏切られていたことにも気付かなかったんだよね」
ミユキの言葉は俺の胸にチクリと突き刺さった。
「……ごめん。でもね、ユファと私は仲良しなんかじゃない。
私は、小さい頃からユファの奴隷だったわ。
昔からユファは私の持っているものを何でも欲しがって、全て奪って行ったわ」
そう言えば、ミユキは藤田が不登校になった後、ユファ達からいじめを受けていたのだ。
俺やPと同じ高校に進学するはずだったミユキは、県外の私立に進学していた。
いじめが原因……いや、ユファから逃げるためだったのか?


1961 :傷跡 ◆cmuuOjbHnQ:2012/12/19(水) 07:01:22 id:cFFR5zTA0

「ねえ、XX君、覚えているかな?
わたし、中3の2学期に入院したことがあったでしょう?」
「ああ、盲腸だったっけ?
内申書の成績が出る一番大事な時期だったからな。
その所為で、県外の私立を受けることになったんだと思っていた。
ほら、お前もH高を受けるとばかり思っていたからさ」
「……私の初体験の相手はトイレのモップの柄だったわ。
力任せに突っ込まれたから、お陰で一生子供の産めない体にされちゃったけどね」
無表情に酷く冷たい目をしながらミユキは語った。
思いがけず聞かされた、余りにエグイ話に俺は言葉を失った。
「ユファに……なのか?」
「ええ……。それと、ヒロコたちね」
俺の中で、楽しかったはずの中学時代の思い出がドロドロとした真っ黒なものに変色していった。

「でもね、それは耐えられた。やっと、ユファから逃げられると思ったから」
「まだ、……何かあったのか?」
「XX君って、残酷だよね。それを私に話させる?」
「……何のことだ?」
「卒業式のあと、美術準備室であったこと、覚えているよね?」


1962 :傷跡 ◆cmuuOjbHnQ:2012/12/19(水) 07:02:26 id:cFFR5zTA0

中学の卒業式が始まる前、俺はヒロコに呼ばれてこう言われた。
「式が終わったら美術準備室に行って。
待っている子が居るから。判っているわね?女の子に恥をかかせるんじゃないわよ」
リョウタみたいにモテるタイプではなかった俺はドキドキしながら式が終わるのを待った。
式が終了し、最後のHRが終わった。
クラスメート達と写真を撮り、部活の後輩達から花を貰ったあと、ヒロコの『早く行け!』というアイコンタクトに従って、俺は美術準備室へ向かった。
美術室に入り扉を閉め、準備室のドアを開くと奥の机にユファが座っていた。
「ええっと、ヒロコに聞いて来たんだけどさ、俺を呼んだのってユファ?」
「うん。来てくれないかと思った。
ほら、XXと私って、高校別々になっちゃうじゃない?だから言っておきたいことがあって」
俺はドキドキしながら答えた。
「言っておきたいことって?」
「XX……君って、好きな子とか、付き合っている子って居る?」
「いないよ」
「……私のこと嫌い?」
「いや、そんな事はない」
「じゃあ、高校に行っても、私と付き合ってくれる?」
「うん、いいよ」
「うれしい!」


1963 :傷跡 ◆cmuuOjbHnQ:2012/12/19(水) 07:05:00 id:cFFR5zTA0

こんなやり取りをした後、俺とユファはあんな事をしたい、こんな所へ行ってみたいなどと取り留めのない話をしていた。
そのあと、確かユファが髪留を外して、掌の上に乗せて言ったのだ。
「ねえ、見て」
俺は少し腰をかがめて髪留を見た。
「目をつぶって」
目をつぶるとユファは、俺の唇に唇を重ねてきた。
唇を重ねると、そのまま柔らかく抱きついてきた。
ユファのやわらかい唇の感触に童貞街道まっしぐらだった俺はフル勃起していた。
耳まで真っ赤に染めたユファが言った。
「これで、私とXXって、恋人同士だよね?」
「……ああ!」
「じゃあ、これからもよろしくね!」

ミユキが話し始めた。
「卒業式のあと、私、美術準備室へ行ったんだよ。手紙を持ってね。
ヒロコが、私に酷いことをしてきた罪滅ぼしに協力するって……わたしって、馬鹿だよね。
そんな言葉を信じて、徹夜で手紙を書いて、二度と行きたくなかった学校に行って。
それで、XX君が待ってるからと言われて、一生分の勇気を振り絞って美術準備室に行ったら……」
「行ったら?」
「中に……XX君とユファが居た。ユファと目が合って、思わずドアの影に隠れたわ。
それで、もう一度、準備室の中を覗いたら……。あなたとユファがキスしてた。もういいでしょ!」


1964 :傷跡 ◆cmuuOjbHnQ:2012/12/19(水) 07:06:43 id:cFFR5zTA0

俺は、心底オンナが、いや、人間の悪意を怖いと思った。
ユファとの思い出は、最後に彼女の裏切りにあって苦いものとなっていた。
何も、被害者面をするつもりはない。
男女間での事だ。
俺の方にも大いに非はある。
だが、ミユキの話を聞いて、俺の知らなかった、いや、薄々は気付いていたユファの黒い一面を知って、俺の背中に冷たいものが走った。
一時は何も見えなくなるくらいに好きだった女が、得体の知れない怪物だった、そんな恐怖心だった。

俺は、ミユキに「お前は『エンジェル様』に何て言われたんだ?」と尋ねた。
ミユキは震えながら言った。
「大勢の目の前でレイプされた上で、首を絞められて殺されるって」
ミユキは怯え切っていた。
ミユキが帰った後、Pは俺に話した。
藤田がミユキの前で自慰行為をさせられた件には、もっと酷い前置きがあったのだ。
問題の虐めがあった日、首謀者の川村はユファや他の連中に藤田とミユキを取り押さえさせて、ミユキの下着も剥ぎ取って言ったそうだ。
「藤田ぁ~、菅田に振られて、笑いものにされて、お気の毒。
さすがに可哀想だから、協力してあげる。ここで菅田とSEXしなよ。みんなで見届けてあげるから。
菅田も、お前にイかしてもらったら、惚れ直して告白を受け入れてくれるかもよ?」


1965 :傷跡 ◆cmuuOjbHnQ:2012/12/19(水) 07:08:32 id:cFFR5zTA0

ミユキは泣き叫び、藤田は必死に抵抗したらしい。
その場にいた男子生徒にボコボコにされ、周りから「早くやれ!」と囃し立てられたそうだ。
藤田は泣きながら「それだけは勘弁してくれ」と哀願した。
そして、ヒロコが提案した。
ミユキをオカズにセンズリを扱いて、射精したら勘弁してやると。
恐らく、エンジェル様の『お告げ』は、この前置きがあった上での川村たちの嫌がらせと脅迫だったのだろう。
その後もミユキへの『いじめ』は続きエスカレートして、彼女は複数の女生徒たち(男子生徒もいた可能性がある)にトイレで暴行を受け、回復不能な深い傷を負わされたのだ。
俺の胸の底に吐き気がこみ上げてきた。
心神喪失のままの川村にこの脅迫状は出せまい。
他にエンジェル様の『お告げ』を知っていて、脅迫状を出せるのはユファしかいない。
俺は、Pに「協力させてくれ」と頼んだ。

俺は、これまで知らなかった過去の闇の中に足を踏み出した。


1966 :傷跡 ◆cmuuOjbHnQ:2012/12/19(水) 07:09:38 id:cFFR5zTA0

俺はまず、ユファの行方を捜した。

俺とユファの出会いは小学生の頃に遡る。
子供の頃の俺は、かなりの虚弱児だった。
俺は、小学校低学年の頃に川で溺れ、死に掛けたことがあった。
近くにいた大人に救助されて溺死は免れたが、その後、暫く高熱を発し危なかったらしい。
高熱で脳にダメージでも負ったのか、俺はそれ以前の記憶が殆ど無い。この事は、以前の投稿で既に触れた。
それまで俺の父親は、ひ弱だった俺を家から殆ど出さず、何のまじないかは知らないが、服まで女物を着せて、酷く過保護に育てたらしい。
そんな父は、俺が回復すると、教育方針を180度転換した。
他に何もしなくて良いから体だけは鍛えろと、親友だったPの父親の紹介で俺を近所の空手道場に放り込んだのだ。
とばっちりを受ける形でPも一緒に入門した。
俺が『運動馬鹿』になる第一歩だった。
この空手道場にいたのがユファの兄の『李先輩』だった。
俺とPが入門した頃、まだ中学生だった李先輩は、稽古に耐え切れず練習中に度々ぶっ倒れた俺を背負って家まで送ってくれたりした。
高校生になると道場に顔を出す機会は減ったが、稽古の後、実家で経営している焼肉店に俺とPを連れて行った。
「沢山喰って体をデカくするのも稽古の内だ。お前はひ弱なんだから、人一倍がんばって食わなきゃ駄目だぞ」と言って飯を食わせてくれたものだ。
小学校から朝鮮学校に通い、高校ではラグビー部に所属していた先輩は、名センターだったらしい。
だが、地元ではラグビーでの名声よりも、喧嘩の武勇伝の方が有名だった。
自宅に良く招かれた関係で、妹の由花(ユファ)とは小学生の頃からよく知った間柄だった。
ついでに、ユファといつも一緒にいたミユキとも顔見知りだった。
小学校時代、ミユキ以外のユファの友達はユファの事を『川上さん』とか『ユカちゃん』と呼んでいた。
他の子が居るときは、ミユキもそうだった。


1967 :傷跡 ◆cmuuOjbHnQ:2012/12/19(水) 07:12:09 id:cFFR5zTA0

俺やPと通っている学校は違ったが、ユファは『川上 由花』という通名でミユキと同じ日本の小学校に通っていたのだ。
李先輩がユファの友達、特に幼馴染のミユキに気を使って居たのは子供心にも良く判った。
妹、ユファに対する溺愛ぶりもだ。
俺とPにとって、李先輩は、子供好きで面倒見が良く、兄馬鹿で、ちょっと怖いところもある兄貴のような存在だった。
高校進学を期にユファは通名を使うのを止めたのだが、中学時代には皆から『ユファ』と呼ばれて通名を使う意味はなくなっていた。
 
中学の卒業式の日にユファから告白を受け、付き合う事になった俺は、既に社会人となり、実家を出ていた李先輩に呼び出された。
卒業祝いと言う割には、Pとミユキの姿はなかった。
「まあ、飲め」と言われ、「押忍」と答えて両手で差し出したコップに李先輩がビールを注いだ。
初めて飲んだビールは苦く、中々飲み干せなかった。
「ところでさ、お前ら付き合ってるんだって?」
俺は飲んでいたビールを噴出しそうになった。
「お、押忍、ユファと……いえ、妹さんと交際させて頂いてます!」
「ふ~ん、そうなんだ。ところで、お前ら、もうヤったの?」
俺は耳まで赤くなっているのを感じながら、慌てて答えた。
「滅相も無い!まだ、手も握っていません!」少しだけ嘘をついた。
「だよな~。お前、無茶苦茶オクテそうだもんな」
「はあ、……」


1968 :傷跡 ◆cmuuOjbHnQ:2012/12/19(水) 07:14:26 id:cFFR5zTA0

助け舟か、ユファが李先輩に食って掛かった。
「お兄ちゃん、いい加減にしてよ!」
「お前は少し黙っていろ!」
そう言われると、ユファは膨れっ面をしながらも黙った。
「ヤリたい盛りのお前にこんな事を言うのは酷かもしれないけれど、半端な真似は許さないよ?
どうしてもヤリたいと言うなら無理には止めないが、俺とタイマンを張る覚悟はしてくれ。
そう言う事は自分で自分のケツが拭けるようになってから、自分の力で女と餓鬼を食わせられるようになってからにしておけ」
「……押忍」
そして、更に厳しい顔つきでユファに向かって言った。
「高校生になった妹の恋愛にまでクチを挟む気はないが、出来ました堕胎しますは絶対に許さないからな?
どんな理由があっても、人殺しは許さない。誰が相手でも産ませてキッチリ責任を取らせるからそう思え」
「判っているわよ!」
「判っていれば、それでいい。健全で高校生らしい男女交際に励んでくれ。
おい、XX、何だかんだ言っても、コイツの付き合う相手がお前で安心しているんだ。
ワガママで気の強い女だけど、宜しく頼むよ」
そう言うと、やっと李先輩は笑顔を見せた。
どこまでも兄馬鹿な人だな、と、緊張の解けた俺は微笑ましく思った。
俺は、そんな先輩を尊敬していたし、堪らなく好きだった。


1969 :傷跡 ◆cmuuOjbHnQ:2012/12/19(水) 07:16:41 id:cFFR5zTA0

高校生活と共に俺達の交際も本格的にスタートした。
だが、初めから何かがおかしかった。
周りの連中に言われるまでもなく、人目を惹く『華』のあったユファと俺が『釣り合っていない』ことは自覚していた。
俺はユファに夢中だったが、同時に、彼女と会う毎に不安が増していった。
彼女に嫌われていると言う事はなかった。それは判った。
だが、愛されている自信も無かった。
少なくとも俺が好きだと想っているほどには、彼女は俺の事が好きではなかったのだろう。
逢瀬を重ねるほどに、俺は自信を喪失していった。
やがて、16歳の誕生日を迎えた俺は、親や学校に隠れて中免を取った。
バイト代や預金をはたいて中古のバイクを手に入れてからは、バイクに嵌まり込んでいった。
まだポケベルさえ普及しておらず、携帯電話など無かった頃なので、連絡は家の電話で取っていた。
だが、姉と妹、特に妹が、何故かユファを良く思っていなかったらしく、俺が電話したり、ユファから電話が来ると露骨に機嫌が悪くなった。
放課後の俺は、ガス代やタイヤ代稼ぎのバイトに明け暮れ、膝に潰した空き缶をガムテで貼り付け、夜な夜な峠で膝摺り修行に邁進した。
ユファの方も、急に経営が傾き出し、従業員を解雇した実家の焼肉店の手伝いで忙しそうだった。
通っている学校も違っていたので、俺達の逢う頻度はどんどん下がって行った。
電話も、姉や妹への引け目から余りしなくなっていたので、話す機会も少なくなっていた。
そして、決定的だったのは高校2年生の時のクリスマスだった。
先輩の警告を破って、半分賭けのつもりでユファに迫った俺は、見事に彼女に拒絶された。
やがて3年生になり、大学受験の準備に入った俺は出遅れを取り戻すために、連日、選択の補習授業に出るようになった。
ユファとは公衆電話から電話を掛けてたまに話はしたが、殆ど逢う事はなかった。
次に逢う時には別れ話を切り出されそうで怖かったのだ。


1970 :傷跡 ◆cmuuOjbHnQ:2012/12/19(水) 07:19:15 id:cFFR5zTA0

俺にとって、バイクも受験勉強も、ユファを失う恐怖から目を逸らすための逃避行動だったように思う。
やがて年末となり、大学受験の本番が目の前に迫っていた。
クリスマスもユファとは会っていなかった。
冬休みに入っていたが、自習室として開放されていた学校の図書室で閉室時間まで勉強していた俺は、帰り道で5・6人の男達に囲まれた。
男達は朝鮮高校の制服を着ていた。
俺は朝鮮高校に何人か知り合いもいたし、特に彼らとトラブルを起こした覚えも無かった。
「H高のXXだな?悪いが、顔を貸してもらえるか?」
駅は目の前だ。リーダー格のコイツをブチのめして、ダッシュで改札に飛び込めば逃げ切れるか?
……いや、無理だろう。
こういった事に関しては彼らに抜かりはない。
改札前やホームに人を貼り付けているはずだ。
誰の命令かは知らないが、彼らが失敗した時に『先輩』から加えられる『ヤキ』は苛烈を極めるのだ。
恐怖に縛られた彼らから逃げ遂せるのは不可能だろう。
俺は、「わかった」と言って、彼らと共に移動した。


1971 :傷跡 ◆cmuuOjbHnQ:2012/12/19(水) 07:21:58 id:cFFR5zTA0

連れて行かれた先には意外な人物が待ち構えていた。
李先輩だった。
李先輩は鬼の形相だった。
「オ、押忍!お久しぶりです」
「ああ。ところでお前、以前、俺と交わした約束は覚えているな?」
「押忍」
「ならば準備しろ。タイマンだ。死ぬ気で掛かって来い。殺す気で相手をしてやる」
「嫌です」
「何だと?今更逃げる気か?」
「いいえ。でも、俺には先輩が何を言っているか判りません」
「とぼけるつもりか?ユファのヤツの様子がおかしいとオモニから相談されて、まさかと思って病院に連れて行ったら、本当に、まさかだったよ。
半端な真似は許さないと言ってあったよな?」
まさか……。俺はショックから立って居られなくなり、その場に座り込んだ。
そして、精一杯に強がって言った。
「煮るなと焼くなと好きにして下さい。でも、先輩とタイマンは張れません。
俺はユファとは何もしていません!」
俺はこの時、泣いていたのだと思う。
李先輩は俺を抱き締めて言った。
「本当に済まなかったな。お前は嘘を言っていない。俺には判っている」


1972 :傷跡 ◆cmuuOjbHnQ:2012/12/19(水) 07:23:21 id:cFFR5zTA0

「XXはこう言ってるぞ!お前の本当の相手は誰なんだ?」
朝高生の男2人に脇を抱えられたユファが俺と李先輩の前に引き出されて来た。
「嘘よ。相手はXXよ。他に有り得ないでしょ!XXもそう言ってよ!」
……誰だ、この女?
ユファに良く似た姿をしているが、他人の空似に違いない。
この女はユファじゃない。
堪らなく好きだった、俺のユファじゃない!
他人だ。ユファに良く似た他人だ。でなければ、悪い夢を見ているんだ!
「いい加減にしないか!」
李先輩はユファを平手で叩いた。
兄馬鹿で、幼い頃からユファを溺愛していた先輩が、妹に手を上げたのは初めての事だったのだろう。
ユファは一瞬、何が起こったのか理解できなかったようだ。
暫くきょとんとしていたかと思うと、やがて大声で泣き始めた。
李先輩は朝高生の一人に朝鮮語で何かを命令した。
「イエー!(はい)」と答えたその男は何処かに行った。


1973 :傷跡 ◆cmuuOjbHnQ:2012/12/19(水) 07:25:20 id:cFFR5zTA0

何処か近くに待機していたのか、10分ほどすると車が1台入ってきた。
車の後部座席から、見るからに柄の悪そうな男2人に脇を抱えられた、20代後半か30代前半くらいの男が引き出されてきた。
運転席からは男達の兄貴分だろうか?
見るからに貫禄のあるスーツ姿の男が降りてきた。
李先輩はスーツ姿の男に深々と頭を下げた。
引き出されてきた男を見たユファは半狂乱になって叫んだ。
「違う、その人じゃないの!XXなのよ、信じてよ!」
俺は、もう、全てがどうでも良くなっていた。
李先輩は酷く冷たい声色でユファに言った。
「いい加減にしろ。
男女の恋愛沙汰だ。別れる別れないとか、他に好きな男が出来るとかは良くあることだ。
そんな事はどうでもいい。それはお前とXXの問題だ。
だが、お前のやっている事は何だ?
お前のやっている事は余りに誠意と言うものが無いじゃないか!」


1974 :傷跡 ◆cmuuOjbHnQ:2012/12/19(水) 07:27:10 id:cFFR5zTA0

李先輩は、ユファの相手の男に歩み寄った。
「お前、人の妹に、未成年に手を出しやがって……。責任は取ってもらうからな?」
更にユファに向かって言った。
「出来ました、堕胎しますは許さない。誰が相手でも産ませるといった事は覚えているな?
どんな形であれ、人殺しは許さない。自分の行動の責任は自分で取るんだ。子供は産んでしっかり育てろ」
「ふざけるな、冗談じゃない!」相手の男が悲鳴のように叫んだ。
「俺には妻も子供も居るんだ。そんなことをされたら身の破滅だ」
「なんだと?それじゃあ、妻子持ちが高校生の餓鬼を騙して弄んだというのか?
俺の妹に、初めから捨てるつもりで手を出したのか?」
「あ、遊びだったんだ。軽い気持ちで、こんな事になるとは思っていなかったんだ!」
……この馬鹿!
この場に居る誰もが緊張した。
これから、この場所で殺人が行われる。
だが、李先輩は冷静だった。


1975 :傷跡 ◆cmuuOjbHnQ:2012/12/19(水) 07:29:13 id:cFFR5zTA0

先輩はユファに向かって言った。
「店は畳む。オモニは俺が引き取る。
お前には、アボジが残してくれたあの家をやろう。だが、それだけだ。
お前とは縁を切る。もう兄でもなければ妹でもない。
俺にも、オモニにも、それからXXにも二度と近付くな」
そして、俺の両肩に手を置いて、声を震わせながら言った。
「こんな事になって、本当に済まない。
……ユファの相手がお前だったら、良かったんだけどな。
あんな馬鹿な妹で、本当に済まなかった。
俺達兄妹とのこれまでの事はなかったものとして忘れてくれ」
先輩の目からは涙が溢れていた。
始めて見る、李先輩の涙だった。
……声が詰まって俺は何も言えなかった。
スーツの男に李先輩が言った。
「すみません、彼を送ってやって下さい。お願いします」

それから、李先輩とユファがどうなったのか俺は知らない。
俺からユファを奪った、あの男がどうなったのか、生死も含めて知る事は出来ない。
俺は受験に失敗して浪人する事になった。
ユファ達の家には、いつの間にか売家の札が貼られていた。


1976 :傷跡 ◆cmuuOjbHnQ:2012/12/19(水) 07:31:14 id:cFFR5zTA0

俺は、キムさんが『裏の仕事』でよく利用する調査会社の男にユファの行方調査を依頼した。
呪詛や心霊関係にも明るく、そのような方面からの切り口で調査を進められる稀有な人材だ。
「アンタが社長を通さずに直接俺に調査を依頼するとは珍しいな。『あっち方面』の依頼か?」
「ああ。ちょっとした呪詛絡みでね。人を探してもらいたいんだ」
「探すのは構わないが、あんたの個人的依頼と言う事になると結構掛かるよ?」
「その点は大丈夫だ。スポンサーが居るんでね」
「そうか、1週間……いや、10日待ってくれ」
 
2週間後、調査会社の男が調査報告書を持って来た。
「アンタにしては掛かったな」
「ああ。意外にてこずったよ。だが忠告しておく。
あんたは、この報告書を見ないほうがいい」
「なぜ?」
「……あんた、その女に惚れていたんだろ?他にも色々とあるんだが、辛いぞ?」
「おいおい、半人前かもしれないが、俺も一応はプロだぜ?」
「そうだったな」
彼が言ったように、調査報告書の内容は、俺にとって衝撃的で辛い内容だった。


1977 :傷跡 ◆cmuuOjbHnQ:2012/12/19(水) 07:33:54 id:cFFR5zTA0

李先輩とその母親は10年前の震災で亡くなっていた。
俺もPも知らなかった事実だった。
別れた後のユファの足跡も読んでいて辛いものがあった。
ユファは高校を卒業後、女の子を出産していた。
兄に厳しく言い渡されていたとはいえ、堕胎せずに出産していた事に俺は驚いた。
その後のユファの人生は男の食い物にされる人生だった。
最初は自宅を売りアパートを借りる際に頼った不動産業者の男だった。
ユファの実家を売った金は、1・2年で使い果たされ、金が無くなると男はユファと子供を捨てて逃げたようだ。
男が逃げて直ぐに、ユファはスーパーのパート店員から水商売に転じた。
其処でのユファの評判は余り芳しいものではなかった。
店の売り上げを持ち逃げした、客から多額の借金をして行方をくらました等、悪評が付いて回った。
水商売の世界に居られなくなり、やがて風俗嬢に。
ヘルスからソープを経て、某新地へ。
新地時代のユファのヒモだった男の名を見て俺は驚愕した。
三瀬……中学時代の同級生だった。
ユファが新地で働いていた頃、俺は三瀬に会った事があったのだ。


1978 :傷跡 ◆cmuuOjbHnQ:2012/12/19(水) 07:35:04 id:cFFR5zTA0

俺が、バイトでバーテンをしていた店に三瀬が2・3人の女を伴ってやってきたのだ。
当時の三瀬は、まだ、大学生だった。
俺の居た店は、大学生が出入りするには少々高い店だった。
まあ、場違いなバカボン大学生が来る事も無かったわけではなかったので、その時は別に疑問も持たなかった。
偶然の再会……を喜び合った俺たちは、一緒に遊びに行く事を約束して別れた。
後日、俺は三瀬の車に乗って、彼と遊びに出かけた。
彼の車はFD、ピカピカの新車だった。
「金回りが良いんだな」
「まあね」
そんな三瀬に連れられて行ったのが、報告書にあった某新地だったのだ。
報告書と俺の記憶を照合すると、俺はユファのヒモだった三瀬に、ユファが働いていた新地に連れて行かれたことになる。
その頃は、俺の女遊びが一番激しかった時期だった。
何周か店をひやかして歩き回った。
中にはそそられる女もいたが、風呂もシャワーも無いと言う事で、その不潔さから「俺はいいや」と言って店に上がる事はなかった。
報告書を読みながら、俺は心拍が上がり呼吸が苦しくなって行くのを感じた。


1979 :傷跡 ◆cmuuOjbHnQ:2012/12/19(水) 07:37:32 id:cFFR5zTA0

報告書には無かったので俺は調査会社の男に「三瀬は、いまどうしているんだ?」と尋ねた。
何度か留年を重ねて大学を卒業した後、三瀬は一旦就職したが、すぐに退職して無職だったようだ。
ユファのヒモを続けていたのだろう。
その後、ユファに逃げられ、覚せい剤取締法違反で逮捕され収監されている。
自己使用だけでなく売人もやっていたようだ。
出所後、更に2度収監され、今でも中毒者ということだった。
俺は、更に報告書を読み進めた。

三瀬から逃げたユファは、迫田というチンピラの情婦になっていた。
迫田は薬物事犯や暴力事犯での逮捕歴が二桁近くある男で、関東の某組から『赤札破門』『関東所払い』を受けて流れて来たようだ。
通常の破門ならば拾ってくれる組もあったのだろうが、『赤札破門』の迫田を拾ってくれる組は無く、当然堅気にも戻れなかった。
迫田はユファを使って『美人局』を行って生計を立てていたようだ。
確かに、読んでいて辛い内容だった。
だが、最後の項目を目にした俺は、激しい怒りに捕らわれた。
信じ難く、許せない内容だった。
李先輩やおばさんが生きていたら、絶対に許さなかっただろう。
俺は、調査会社の男に「これは本当なのか?」と、確認した。
「本当の事だ」
ユファと迫田は、ユファの娘を使って『美人局』を行っていたのだ。


1980 :傷跡 ◆cmuuOjbHnQ:2012/12/19(水) 07:39:10 id:cFFR5zTA0

ユファの調査は進めたが、俺はユファと、できれば直接に関わるつもりは無かった。
だが、無視する事は出来なかった。
絶縁したとはいえ、李先輩が生きていて、この事を知ったならば、やはり放置しなかったはずだからだ。
こんな形で、この事を知ったのは先輩の導きかもしれない。
この際、ユファの事はどうでもよかった。
だが、ユファの娘は何とかしたかった。
巡り合わせ次第では、俺の『娘』だったかも知れない子だからだ。
俺はユファ達の棲む町へと向かった。
 
事に移る前に、俺は地元のヤクザに金を包み、話を通しに行った。
話はすんなりと進んだ。
「ああ、あの胸糞の悪いチンピラと朝鮮ピーだな。
最近調子に乗りすぎていて、目障りだったんだ。好きにしてかまわない。手出しも口出しもしないよ」
そう言って、そのヤクザはユファの娘を拾う方法まで教えてくれた。


1981 :傷跡 ◆cmuuOjbHnQ:2012/12/19(水) 07:40:13 id:cFFR5zTA0

ユファの娘が客を拾っていたのは、川沿いのラブホテル街だった。
夜の通りに7・8人の30代から50代くらいまでの中年女性が立っていた。
女を物色していると思われる男たちが、川沿いを何度も往復していた。
往復している男たちに女が世間話を装って話しかけ、見極めたうえで交渉に入るようだ。
俺は男たちに倣って川沿いの道を何往復かしてみた。
ユファの娘らしき女は立っていなかった。
それはそれで構わない。
やがて、一人の女が話しかけてきた。
「お兄さん、さっきからずっと歩いてるよね。夜のお散歩?」
「まあね」
少し雑談していると、女が切り出してきた。
「お兄さん、これから遊びに行かない?」
「遊び?」
「判ってるんでしょ?ホテル代別でショートでイチゴー、ロングなら3だけど、お兄さんならニーゴでいいわよ?」
「今日はいいや」
「お目当ての子が居るの?」
「ああ。この辺に高校生くらいの子が立ってるって、ネットで見てさ」
「ああ、あの子ね。あの子は火曜日か木曜日にしか来ないよ。
その先のローOンの前の橋のところに10時位から立つけど……止めた方がいいわよ」
「なんで?」
「あの子、お客の財布からお金を抜くのよ。それがばれると……判るでしょ?」
「美人局か」
「そうそう!それで、悪い噂が立っちゃって、私たちも迷惑してるのよね」
俺は女と別れて、その日は撤収した。


1982 :傷跡 ◆cmuuOjbHnQ:2012/12/19(水) 07:42:35 id:cFFR5zTA0

何度か空振りした末に、俺はユファの娘を捕まえる事に成功した。
「ホテル代別で3。朝までなら5よ」
「お、強気だね」
「嫌なら……別にいいんだよ」
金髪にして、少し荒んだ感じだったが、娘には昔のユファの面影が確かにあった。
まだ幼い顔立ちと、細すぎる肩。
正直、胸が痛んだ。
「OK!5だな。朝まで楽しもうぜ」
俺は、彼女に付いて少し先のラブホテルに入った。
「お金。前金でお願い」
「嫌だね」
「……それなら帰る」
「それも駄目だ」
「……お金、出しておいた方がいいよ?」
「迫田には連絡したのか?まだだったら電話しろよ」
彼女は、驚いてはいたが妙に落ち着いていた。
「あなた、警察の人?」
「いいや。……妙に落ち着いてるんだな」
「そう?……私なんて、どうなっても、……どうでもいいから」
彼女の手首にはリストカットの痕が幾筋も残っていた。
「逃げた方がいいわよ?迫田って、無茶苦茶だから。オジサン、殺されちゃうよ」
「俺が逃げたら、お前が酷い目に合うんじゃないか?」
「そうかもね。でも、殺されはしないだろうし……。
『仕事』をしなくちゃいけないから、そんなに酷くはやられないと思う……」
正直、痛ましくってやっていられなかった。


1983 :傷跡 ◆cmuuOjbHnQ:2012/12/19(水) 07:45:19 id:cFFR5zTA0

「どうせ、下の出口にでも待ってるんだろ?とりあえず、ここに呼べよ」
彼女が電話すると直ぐに迫田が上がってきた。
ドアの鍵は開いていた。
室内に入って「てめえ、人の娘に……」と言うか言わないかのタイミングで俺は迫田に襲い掛かった。
虚を衝かれ、怒りに歯止めが利かなくなった俺の暴力に晒された迫田は動かなくなっていた。
まあ、死にはしないだろう。
こんなクズは、死んだところで問題はないが、死んだら死んだで面倒なので生きていた方が都合は良かった。
「こいつ、お前の親父なの?」
「違うよ。母さんのオトコ」
「お前の母さんは、……お前がこんな事をさせられているのを知ってるのか?」
「……うん」
「お前の本当の父親は?」
「良くは知らないけど、母さんを捨てて逃げちゃったらしいよ。私のせいだって」
「……そうか」
「オジサン、何なの?私をどうするつもり?」
「どうもしないよ。俺は、李 ユファの、……君のお母さんの昔の知り合いなんだ。
君のお母さんに会いたい。案内してくれないか?」
「いいよ」


1984 :傷跡 ◆cmuuOjbHnQ:2012/12/19(水) 07:47:18 id:cFFR5zTA0

車の中で聞かれた。
「オジサンは母さんの昔の知り合いなんでしょ?
私のお父さん、母さんの彼氏だった人のこと、……どんな人だったか知ってる?」
「さあな。俺は中学生の頃の同級生だから」
「……そうなんだ。ほら、そこの角を右に曲がって……あれよ」
ユファ達が住んでいたのは、三階建てのコンクリート作りの建物が5棟ほど建った古い団地だった。
建物のひとつの階段を上り、二階の右側の鉄扉を彼女が開けるとアルコールと生ゴミの混ざったような悪臭が鼻を突いた。
室内はゴミが散乱していて汚い。
彼女が「ただいま……」と消え入りそうな弱々しい声を発すると、灯りの消えた真っ暗な部屋の奥から女の声が聞こえた。
「あ……ん?早いんじゃない?あの人はどうしたの?一緒じゃないの?」
彼女は俯いたまま、黙って立ち尽くしていた。
「黙っていないで、何とか言え!」
怒号と共に何かが飛んできた。
飲み残しの入ったビールの空き缶だった。
ブチッと、俺の中で何かが切れるのを感じた。
俺は、明かりを点けて部屋の奥に踏み込んだ。
何日も櫛を通していないようなボサボサ髪に薄汚れて犬小屋の毛布のような臭気を発するTシャツ一枚の女が眩しそうに顔をしかめた。
俺は酒臭い女の髪を掴んで風呂場に引きずっていき、薄汚れた水が張りっぱなしになった浴槽の中に放り込んだ。
「だれ?何をするのよ!」と叫ぶ女に、更にシャワーで水をぶっ掛ける。
「俺が判るか?ユファ!」
一瞬、呆然とした表情を見せた後、ユファは口を開いた。
「XX……なの?何で、ここに……?」
「何でも、糞も無い。何なんだ、このザマは?」


1985 :傷跡 ◆cmuuOjbHnQ:2012/12/19(水) 07:49:53 id:cFFR5zTA0

「アンタには関係ないでしょ!」
「ああ、関係ないね。お前がどうなろうが知った事じゃない。
けどな、お前らが娘にやらせている事は見過ごせねえ。
……おまえら、人間じゃねえよ。なんでこうなった?」
ユファは、吐き捨てるように言った。
「何を偉そうに。この子と一緒と言う事は、この子を『買った』んでしょ?
やる事をやっておいて、大口を叩くんじゃないわよ。同じ穴の狢じゃない!」
ユファは怒気の篭った声で娘に言った。
「何でこんな奴をここに連れて来たの!迫田はどうしたのよ!」
「あの人は、……この人にやられちゃった」
「アハッ、迫田がXXに?無理よ。XXはね、小っちゃくて弱っちいんだよ。背だって私の方が大きかったし、足だって私の方が速かったんだ」
……いつの話だ?虚弱だった小学生の時分、俺が初めてユファに逢った頃の話か。
「そうだ、XXは弱い子だから、私が助けてやらないといけないんだ……お兄ちゃんが言ってた」
何か様子がおかしい。
酒で泥酔しているからだと思ったが、明らかに挙動がおかしく、話す内容も要領を得ない。
そう言えば、ユファのヒモをしていた三瀬は薬物事犯で服役したし、迫田も薬物事犯の累犯犯罪者だ。
薬物中毒か……。
「XX、早くここを出て行って!迫田が戻ってきたら、私もあなたも殺されちゃうよ!」

ユファも娘も、迫田に暴力で支配されていたのは間違えないだろう。
俺は娘に言った。
「悪いようにはしないから、俺と一緒に来い」
「無理だよ。私もお母さんも迫田に殺されちゃうよ?」
「その迫田から逃げるんだよ。迫田はさっきのホテルでまだノビてる。逃げるなら今しかないぞ?
ここに居て、迫田が戻って来たら、また同じ事の繰り返しだぞ?
一緒に来い。何があっても今の状況よりはマシだろう?」
「……判った」
「ユファ、嫌だと言っても、お前には一緒に来てもらう。問い質さなければならない事があるからな。
2人とも、身の回りの荷物を纏めろ。30分後に出るぞ」
 
俺はPに連絡を入れ、彼とミユキの元へと向かった。


1986 :傷跡 ◆cmuuOjbHnQ:2012/12/19(水) 07:51:04 id:cFFR5zTA0

俺は、Pの元にユファとその娘を連れて行った。
ユファは思った通り、重度の覚醒剤中毒だった。
艶を失くした髪や肌はボロボロで老婆のよう。
重度の覚醒剤中毒患者に特有の症状らしいが、歯がボロボロに腐り、腐敗したキムチのような耐え難い口臭を放っていた。
痩せ細り骨ばった体は30代の女のそれではない。
やはり薬物中毒患者に多いと言う肝疾患を患っていたため、黄疸で白目も黄色く変色していた。
変り果てたユファの姿に、俺は少なからぬ衝撃を受けた。
俺は、ある医師を頼りユファと娘を診させた。
だが、その前にすることがあった。
ミユキに送られてきた『脅迫状』について問い質さなければならない。
 
ミユキとユファが対面したのは、中学卒業以来、20年ぶりのことだった。
ミユキは、あまりに変わり果てたユファの姿に絶句していた。
ユファは、俯いたままミユキの顔を見ようとしない。
Pが、ユファにミユキに送られてきた脅迫状、『呪。****』と赤文字で書かれた『エンジェル様』の文字盤を見せながら言った。
「手短に聞こう。これをミユキに送りつけたのはお前か?」
「いいえ」
「本当に?」
「ええ、本当よ。
でもね、ミユキや他のみんなを呪っていなかったかと言われれば、嘘になるけどね。
XX、あんたの事もね」


1987 :傷跡 ◆cmuuOjbHnQ:2012/12/19(水) 07:53:25 id:cFFR5zTA0

Pがそれまでの経緯をユファに話して聞かせた。
ユファは驚いていたが、「結局、エンジェル様のお告げは全て当たったのね」と呟いた。

俺は、ユファに尋ねた。
「お前は『エンジェル様』に何て言われたんだ?」と。
ユファは声を震わせて答えた。
「一生、生き地獄……」
俺は何と言って良いか判らなかった。
代わりに尋ねた。
「ミユキに脅迫状を送りつけた主に心当たりはないか?」
ユファは首を横に振った。
……振り出しか。
最後に、俺はユファに訊ねた。
「なぜ、ミユキにあんな真似をしたんだ?
お前たち、友達じゃなかったのかよ」
「そうね、私にとっては唯ひとりの友達かもね。
私を初めから本名で、『ユカ』じゃなくて、ちゃんと『ユファ』と呼んでくれていたのはミユキだけだったからね」
「だったら、何故?」
「友達だから、ミユキの下に立つことは絶対に出来なかったのよ」
「なんだよ、上とか下って!……友達というのは対等なものじゃないのか?」


1988 :傷跡 ◆cmuuOjbHnQ:2012/12/19(水) 07:55:09 id:cFFR5zTA0

「アンタには判らないでしょうね。……P、アンタになら判るでしょう?」
Pは苦々しい表情で言った。
「……ああ。わかるよ」
「ミユキは、私がどんなに頑張っても敵わない位に頭も良かったし、女の私から見ても羨ましいくらいに可愛かったからね……。
何をやっても敵わない。……そんなミユキの下に立ったら、惨めじゃない。
アンタやPだって、兄さんだって私よりミユキの方が好きだったでしょう?」
「待てよ、少なくとも先輩は、いつもお前のことが第一だったじゃないか。
ミユキがお前の一番の友達だったから、気を使っていただけだろ?
俺だって、お前と付き合っていたじゃないか。少なくとも、俺は本気でお前のことが好きだったぞ?」
「いいえ、それは嘘。でなければ、あなたがそう思い込もうとしていただけ」
俺が言い返そうとするのを遮るようにミユキが言った。
「卒業式の日、美術準備室であったことは、なんだったのよ?」
「兄さんはね、あなたのことが好きだったのよ。本当にね。
まあ、あの兄さんだから、あなたが気づかなくても仕方ないけどね。
なのに、あなたはXXまで……許せなかったわ。
……ねえ、XX。あなた、あの日、告白したのが私じゃなくてミユキだったら、ミユキと付き合っていたんじゃない?
私よりも、ミユキに告白された方が嬉しかったんじゃない?」
「もしもの話をされてもな……。
俺はお前と付き合った。あの日のことは物凄く嬉しかった。舞い上がるくらいにな。それだけだ」
「相変わらず、狡いのね。……もういいでしょう?疲れたわ」


1989 :傷跡 ◆cmuuOjbHnQ:2012/12/19(水) 07:57:06 id:cFFR5zTA0

事件は振り出しに戻った。
俺とPは、千津子と奈津子の『力』によって負ったダメージから回復するために静養中のマサさんに相談してみた。
マサさんは言った。
「お前たちは、ひとつ大事なことを見落としているぞ?
もう一人、ミユキを含めた『エンジェル様』のメンバー全員を呪う人物がいるだろう」
「誰ですか?」
「判らないか?藤田の母親だよ。
それとな、川村が呼び出した天使『****』と言うのは、韓国のあるキリスト教会で猛威を振るった『巫神』……悪魔の名前なんだ。
その辺も含めてもう一度洗い直してみろ」

俺とPは、藤田・川村を中心に過去を洗い直した。
すると、意外な事実が浮かび上がってきた。
藤田家と川村家は、両家に子供が生まれる前から接点があった。
両家はあるキリスト教会の信者であり、その教会の牧師は韓国人だった。
俺の母親もクリスチャンだがカソリックなので、プロテスタント系の地元のその教会には通っていなかった。
その韓国人牧師には、韓国人聖職者にありがちな問題行動があった。
藤田の母親は、Pの実家が経営する店でパート店員として働き、一人息子の藤田を女手一つで育てていた。
藤田の父親は、藤田が小学生の時に自殺している。
川村の両親も、川村が中学生の頃から夫婦仲が悪化し、娘が心神喪失状態になると父親が家を出て帰らなくなり、やがて離婚が成立した。


1990 :傷跡 ◆cmuuOjbHnQ:2012/12/19(水) 07:58:26 id:cFFR5zTA0

Pが主に動いて、意外な、そしておぞましい事実が明らかになった。
藤田の父親の自殺と川村の父親の出奔の原因は、共に妻の不貞だった。
そして、妻たちの不倫の相手は、共に教会の韓国人牧師だった。
その牧師が川村と藤田の本当の父親だったのだ。
更に、川村の問題行動……藤田への悪質で執拗ないじめが始まる少し前に、凶悪な事件が起こっていた。
中学生になったばかりの川村は、血縁上の父親でもある韓国人牧師に強姦されていたのだ。
事件を揉み消すために、教会から信者に多額の金が流れ、問題の韓国人牧師は韓国に帰国していた。
この韓国人牧師は日本に来る前、韓国の教会で起こったある事件に連座して韓国の宗教界に居られなくなり、その過去を隠して来日していた。
その事件とは、聖職者数名が未成年者を含めた多数の信者女性を集めて『サバト』を開いていたというものらしい。
川村が呼び出した天使……いや、悪魔『****』とは、その『サバト』で呼び出されていたモノらしい。
どうやら、問題の韓国人牧師は日本でも『サバト』を開いていたようだ。
そこで、川村は牧師に強姦され、父親の自殺時に藤田が知ることになった自らの出生の秘密を知る事になったようだ。
川村が幼馴染の藤田に抱き続けた恋心は激しい憎悪に変わり、その憎悪は藤田が想いを寄せた菅田ミユキにも向けられた。


1991 :傷跡 ◆cmuuOjbHnQ:2012/12/19(水) 08:00:59 id:cFFR5zTA0

俺たちは、藤田の母親を問い詰めた。
藤田の母親は、驚くほどあっさりと、ミユキに脅迫状を送った事実を認めた。
息子を自殺に追い込んだ連中の幸せな様子が許せなかった……らしい。
だが、それだけではなかった。
韓国人牧師に逃げられた藤田の母親は、父親の自殺以降、自分に軽蔑の視線を送り続けていた我が子を『****』に捧げていた。
息子を生贄に、牧師の『寵愛』を奪った川村を呪ったというのだ。
狂っている……そう形容するしか言葉が思いつかなかった。
そんな、藤田の母親の怨念に再び火をつけたのは、息子が想いを寄せていた、菅田ミユキの結婚話だった。
ミユキはPのプロポーズを受け入れていたのだ。
そうだ、思えばPは小学生の頃、俺と一緒に李先輩の所に遊びに行っていた頃からミユキが好きだったのだ。
Pは、長いあいだミユキの相談に乗り続け、彼女を支えていた。
「水臭いじゃないか、P!
おめでとう。何で話してくれなかったんだ?」
「……全て片付いてから話すつもりだったんだ。
それに、ミユキと結婚する前に、やっておかなければならないことがあるからな」
「やっておかなければならないこと?」


1992 :傷跡 ◆cmuuOjbHnQ:2012/12/19(水) 08:02:31 id:cFFR5zTA0

「ああ、俺は、呪術の世界の一切と、マサさん達と今度こそ手を切る。
恐らく、すんなりとは抜けることは出来ないだろう。
だが、俺は、ミユキ以外の全てを失っても、絶対に抜けてみせる」
「そうか……」
「だから、お前とも……」
「判るよ……皆まで言わなくていい」
「すまない、俺がお前をこんな世界に引き摺り込む原因を作ったのに……」
「Pそれは違う……こういう形だっただけで、こうなることは必然だったんだ。
うまく抜けて、ミユキを幸せにしてやってくれ。
もし、俺がお払い箱になって足を洗うことができたら、その時は就職の斡旋でもしてくれよ」
「ああ、必ずな。待っているよ……必ず来てくれ」


1993 :傷跡 ◆cmuuOjbHnQ:2012/12/19(水) 08:04:14 id:cFFR5zTA0

俺は、ユファのことを弁護士をしている大学時代の友人に頼んだ。
彼女は、DVや少年問題をライフワークにしている。
彼女の活躍で、ユファには執行猶予が付き、実刑は受けずに済んだ。
しかし、彼女はもう手遅れの状態だった。
肝臓を完全にやられ、売春や薬物中毒といった経歴から恐れていた感染症にも罹患し、既に症状が出始めていた。
俺は、妹の久子にマミの診察と治療を依頼した。
最悪の事態も含めて、ある程度の予想はしていたが、マミは数種類の病気に感染していた。
だが、不幸中の幸いで、マミの罹っていた病気は、全て治療可能なものだった。
しかし、他方で、慢性化していた病は、マミから受胎能力を奪い去っていた。
そして、肉体よりも精神的なダメージの方がより深刻だった。
自殺願望が強く、拒食の傾向が顕著に出ていたのだ。


1994 :傷跡 ◆cmuuOjbHnQ:2012/12/19(水) 08:06:01 id:cFFR5zTA0

俺は、療養中のユファに面会に行った。
精神医療のことは全く判らないので、医師の指示に従うしかなかったのだが、マミはユファには会わせない方が良いらしい。
死相の浮かんだユファは、痩せこけて老婆のようだった。
俺は、カサカサで骨張った小さな手を握った。
俺が手を握ると、ユファが目を覚ました。
暫く無言の状態が続いたが、俺は特に答えを聞くつもりもなく言った。
「俺たち、なんでこんな風になっちまたのかな……」
ユファが俺を見つめながら言った。
「あなたの妹さん……久子ちゃんって言ったかしら?
あの子に言われたのよ……お兄ちゃんは、ずっと無理をしているって。
私と付き合うようになってから、あなたが全然笑わなくなったって……
お兄ちゃんのことが好きじゃないなら、もう解放してあげて下さいってね。
泣きながらよ?……ブラコンよね、重症の」
「ブラコンについては、お前は人のことは言えないだろ?」
「そうかもね。でもね、妹さんに言われて、納得したわ。
私、付き合っている間、あなたの笑顔を見たことなかったもの。
子供の頃、お兄ちゃんやミユキたちと遊んでいた頃は、あなたはよく笑っていたのにね。
私、あなたの笑顔が大好きだったの」


1995 :傷跡 ◆cmuuOjbHnQ:2012/12/19(水) 08:08:44 id:cFFR5zTA0

「無理をしていると言えばそうだったかもな。
臭い言い方をすれば、お前は俺にとっては眩しすぎたから。
周りの連中にも言われていたけれど、俺は、お前とは釣り合っていないってね。
妙なコンプレックスを感じていたのは確かだよ。
結局、俺はお前と向き合うことから逃げていたんだよな」
「馬鹿ね。私から、あなたに告白したのよ……周りから何を言われても関係ないじゃない?
何も気にしないで、私だけ見てくれていたら良かったのにね」
「そうだな」
「あのクリスマスの夜……なんで、途中で止めて、何もしないで帰っちゃったの?すごく、悲しかった」
「お前に拒絶されたと思って……判っているよ、俺がヘタレだったんだよ。
妙なコンプレックスを持っていて、萎縮してしまったんだ」
「私たち、付き合うのが少し早すぎたのかもね……もう少し、大人になってから付き合えば、幸せになれたかも。
少なくとも、マミをあんな風にはさせなかった……あの子を愛してあげられたかも知れないのにね」
「……」
「あの子が、あなたの子だったら……」


1996 :傷跡 ◆cmuuOjbHnQ:2012/12/19(水) 08:10:57 id:cFFR5zTA0

「苦労することが分かっていても、お前はあの子を産んだ……堕ろすって選択肢だってあったのにな。
それに、あの子を産んだあとだって、捨てると言う選択肢があったはずだ。
でも、お前はそうしなかった。……それは、心の底では、お前があの子を愛してるってことじゃないか?
そうでなければ、俺は今日、お前に会いに来ることはなかったよ」
「でもね、あの子を見ていると、お兄ちゃんやミユキ、それにあなたを裏切った自分の愚かさを突き付けられるのよ。
自業自得なのは分かっているの。それなのに……何の罪もないあの子を傷つけてしまうのよ。
わたし、あの子の笑ったところを一度も見たことがない……」
ユファは泣き始めた。そして、言った。
「こんなことを頼めた義理ではないのは判っている。
でも、私にはあの子の事を見届ける時間はないと思うから……あの子のことをお願いします」
 
その後、色々とあったが、俺と妹が両親に頼み込み、弁護士の友人や、その他多くの人々の働きがあって、マミは俺の実家に身を寄せることになった。


1997 :傷跡 ◆cmuuOjbHnQ:2012/12/19(水) 08:14:02 id:cFFR5zTA0

夕食のあと、俺は父の書斎に行った。
そこで、両親に切り出された。
「マミちゃんの事なんだが……素子と久子の了解はとってある。
後は、お前の了解を得るだけなんだ」
「……なんだよ」
「あの子の事情は、全て知っている。
その上での事なんだが、お前さえよければ、あの子を養女に迎えたいんだ。
私と母さんが生きている間にあの子を嫁にでも出してあげられれば良いのだけど、父さんも母さんも、もう年だからな」
「いい話じゃないか。俺に異存はないよ。ありがとう」
「そうか!あの子の前で揉めるのは避けたかったんだ。それじゃ、あの子に話してみるよ」
 
思いがけない形で、俺の心残りだった懸案は片付いたようだ。
思い残すことは、もうない。
これまでのマミの人生はあまりに辛く、酷いものだった。
すぐには無理かもしれないが、人並みに学び、人並みに遊んで、人並みに恋をして、泣いて、そして笑って欲しいのだ。
マミが幸せで、いつも笑顔でいてくれるなら、俺のこれまでにあったこと全てに意味が見出せるだろう。
例え、明日『定められた日』が来ても、俺は満足できるに違いない。


おわり

 

日系朝鮮人

1930 :日系朝鮮人 ◆cmuuOjbHnQ:2012/12/19(水) 06:01:31 id:cFFR5zTA0

イサムと出かけたロングツーリングから戻った俺は、以前からの約束通り、木島氏の許を訪れていた。
呪術師としての木島氏しか知らなかった俺は、木島氏の意外な一面を知ることになった。
木島氏は婿養子らしい。
5歳ほど年上だという奥さんの紫(ゆかり)さんは、少しきつい印象だが女優の萬田久子に似た美人だった。
紫さんの父親に関わる『仕事』で気に入られ、木島家に婿入りしたようだ。
木島家が何を生業にしているのかは判らない。
見るからに高そうなマンションのワンフロアを借り切り、そのマンションには目付きの悪い男たちが頻繁に出入りしていた。
招かれたのでもなければ、あまり近寄りたい雰囲気ではない。
木島氏には20代後半で『家事手伝い』の長女・碧(みどり)と女子大生の次女・藍(あい)、中学生の3女・瑠璃(るり)の3人の娘がいた。
木島家に滞在して、俺がそれまで木島氏に抱いていたクールで冷徹なイメージは脆くも崩れ去っていた。
家庭人としての木島氏は、女房に頭が上がらず、娘に大甘なマイホームパパだった。
少し引き篭もり気味だが、碧は家庭的な女で家事一般が得意、料理は絶品だった。
藍は、頭の回転が早く、話し相手として飽きない楽しい女だった。
人懐っこい性格の瑠璃は、テニスに夢中……。
色々と驚かされることもあったが、家族仲の良い木島家は見ていて微笑ましかった。
思いのほか居心地の良い木島家で俺は寛いだ時間を過ごした。
だが、リラックスした時間はやがて終わり、『本題』が訪れた。
どんな目的があるのかは分からないが、かねてより俺に会いたがっていると言う人達の許に俺は向かった。


1931 :日系朝鮮人 ◆cmuuOjbHnQ:2012/12/19(水) 06:02:32 id:cFFR5zTA0

木島氏に連れられて俺が訪れたのは古い邸宅だった。
表札には『一木』と書かれていた。
木島氏と共に奥の部屋に通され30分ほど待たされたか。
少々イラ付きもしたが、神妙な木島氏の様子に、態度や表情には出さずにいた。
やがて、家主らしい初老の男性と榊夫妻、和装の老女が部屋に入ってきた。
「お待たせして申し訳ない……」
この男性は、相当な地位にある人物のようだ。
榊夫妻や木島氏の様子、何よりもその身に纏う『威厳』がそれを物語っていた。
この初老の男性が一木貴章氏だった。
挨拶もそこそこに一木氏が「本題に入ろう」と切り出した。
一木氏は、何かの報告書らしいレポートに目を落としながら話し始めた。
「XXXXX君、昭和XX年X月XX日、A県B市出身。父親は……母親は……。兄弟は姉と妹が一人づつ……」
一木氏は、俺や俺の一族の背景、その他諸々を徹底して洗ったようだ。
一木氏の話す内容は俺が自ら調べて知っていたことだけでなく、調べても判らなかったことも数多く含んでいた。


1932 :日系朝鮮人 ◆cmuuOjbHnQ:2012/12/19(水) 06:03:48 id:cFFR5zTA0

俺の父親は、70数年前、今の北朝鮮平壌で生を受けた。
警察関係の役人だったという祖父と祖母は、まだ幼かった次女を連れて朝鮮半島に移住した。
二度と帰国するつもりはなく『日系朝鮮人』として朝鮮の土になる……覚悟の出国だったようだ。
父の実家は、地元では一応『名士』とされていたようだ。
婿養子で軍人だった曽祖父が、東京である『特別な部隊』に所属し、その後も軍人として出世したかららしい。
その部隊に所属することは大変な栄誉とされていたらしい。
地元選出の国会議員や市長クラスの宴席に呼ばれることも度々だったそうだ。
曽祖父が出世して『名士』扱いされてはいたが、父の実家のあった地域は一種の『被差別部落』であり、父の一族はその中でも特に差別された一族だったようだ。
俺の一族が『田舎』で差別された存在だったことを俺が知ったのは、祖父の葬儀のために、父の『実家』を訪れた時のことだ。
祖父の葬儀は異様な雰囲気だった。
参列者は俺たち親族と、祖父の『お弟子さん』だけで、近所からの参列は古くから付き合いのある『坂下家』だけだった。
俺たちの様子を伺う近所の住人達の視線を俺は生涯、忘れることはないだろう。
差別とやらの内容は知ることは出来なかったが、憎悪や恐怖、その他諸々の悪意の込められた視線……『呪詛』の視線だ。
96歳で台湾で客死した祖父は、韓国や台湾、中国本土を頻繁に行き来する生活を送っており、弔電は国内よりも国外からの物の方が多かった。
国内の弔電も『引揚者』やその家族からのものが殆どだったようだ。
父達の引揚げは『地獄』だったそうだ。
父は、昭和24年に引き揚げたらしいが、引揚時に負った傷が元で右目の眼球と右耳の聴力を失っている。
だが、父が話すことはないが、帰国後の日本で父が見た『地獄』は、引揚時に朝鮮半島で見た地獄よりも苛烈だったようだ。
父にとっての故郷は、生まれ育った『朝鮮』であり、ルーツである日本の『田舎』は記憶から消去したい、呪われた場所らしい。
祖父の葬儀が終わったあと、父は姉と妹、そして俺に言った。
「これで、我々の一族とこの土地の縁は完全に切れた。私がここに来ることは、もう二度とないだろう。
私たちは、もう他の土地の人間なんだ。お前たちも、二度とここに来てはならない。全て忘れるんだ」


1933 :日系朝鮮人 ◆cmuuOjbHnQ:2012/12/19(水) 06:05:54 id:cFFR5zTA0

祖父は、苦学しながら高等文官試験?を目指す学生だったそうだ。
翻訳や家庭教師といったアルバイトをしていて、東京で女学生をしていた祖母に見初められたらしい。
祖父は、高等文官試験には通らなかったようだが、特殊な才能をもっていたそうだ。
全く知らない外国語でも1日あれば凡そ理解することができ、1・2週間ほどで読み書きは別にして、自由に話すことができたそうだ。
事の真偽はわからないが、祖父が日本語のほか、英語・フランス語・ドイツ語・朝鮮語・中国語・ロシア語・スペイン語ポルトガル語の会話と読み書きが出来たのは確かだ。
祖父は婿養子として祖母と結婚し、内地でキャリアを積んだあと警察関係の役人として朝鮮に渡った。
日本の敗戦により、朝鮮の土になるつもりでいた祖父たち一家は、やむを得ず、多数の引揚者を連れて帰国した。
本来ならば、差別の残る祖母方の実家ではなく、祖父方の実家のあった地に戻るところだったのだろうう。
だが、祖父の実家は、終戦直前に家族親戚とともに一瞬でこの地上から消滅してしまっていた。
父は高校卒業まで田舎にいたが、大学進学を期にそこを離れ、祖父の葬儀まで二度と戻ることはなかった。
大学に進学した父は知人宅に身を寄せた。
父が下宿していた知人宅、それが俺の友人Pの父親の実家だった。
詳しいことは分からないが、朝鮮半島で俺の祖父とPの祖父は何らかの関係があったらしく、俺の祖父の手配でPの祖父一家は日本に移住してきたらしい。
俺の一族にPの一族は返しきれない恩があるとかで、『俺の一族に何かあった時には、何を差し置いても助けろ』と言うのがPの父親の遺言だそうだ。
俺にとっては、Pは友人であり、恩や遺言は関係ないのだが、彼にとってはそうではないようだ……。


1934 :日系朝鮮人 ◆cmuuOjbHnQ:2012/12/19(水) 06:07:51 id:cFFR5zTA0

カトリックだった祖父の実家は同じくカトリックだった母方の祖母の実家と家族ぐるみの付き合いがあったそうだ。
父と母の結婚は母方の祖母の強い要望によるお見合い結婚だった。
日本に帰国後、公職追放されていた祖父は処分が解けた後も公職に復帰することはなかった。
金になっているのか、成っていないのかよく判らない芸事で身を立て、祖母が亡くなったあとは、一年の半分位は外国を回る生活を送っていた。
母方の祖母の話では、祖父の上京前、父方の祖母と出会う前、母方の祖母と祖父は恋仲だったらしい。
母方の祖父も早くに亡くなっているので、子供の単純な発想で「なら、おじいちゃんと再婚しちゃえば良かったのに」と言った覚えがある。
祖母は、「そういう事はできないんだよ……。それに、あの人には大事な仕事があるから……」
祖父の『大事な仕事』が何なのかは、結局、知ることは叶わなかった。
ただ、祖父の結婚も、朝鮮への移住も、曽祖父の強い意向が働いていたのは確かだ。
日本国内での厳しい差別から逃れるため……だけではなかったようだ。

一木氏は、俺たちの一族が受けてきた『差別』の実態について語り始めた。
父の『実家』があったのは、とある漁村の一角だった。
だが、その集落は、元々は山二つほど内陸にあった『村』が『移転』してきたものらしい。


1935 :日系朝鮮人 ◆cmuuOjbHnQ:2012/12/19(水) 06:09:19 id:cFFR5zTA0

この『村』は、ある特殊な信仰を持っていた。
教義や儀式、念仏や礼拝など信仰の実体に関わるものは全て口伝で伝えられ、元々文書等は一切残されていない。
一向宗の一派とも隠れキリシタンの一種とも言われるが、口伝が失われて久しく実態はもはや知ることはできないそうだ。
移転して来る前にあった『村』が大きな災害によって全滅してしまったかららしい。
この村の宗教は、仏壇や仏像、十字架など形のあるものではなく、家の中の決まった部屋の白壁に向かって『瞑想』を行い、『神』の姿を思い浮かべて、それに対して礼拝する形を取っていた。
さらに、特殊な礼拝法の他に、この村には『人柱』の風習があったようだ。
ある特定の家から10年に一度とか、20年に一度といった感じで『人柱』を立てていたのだ。
代々、その『人柱』を出していた家が『坂下家』らしい。隣近所で祖父の葬儀に唯一参列した家だ。
坂下家は3年ほど前に最後の生き残りだった坂下 寅之助氏…『寅爺』が亡くなって絶えてしまったが、代々父の実家との付き合いが続いていた。
祖父達が日本を離れるとき、長女はまだ10代で、結婚したばかりだった。
坂下家は、まだ若い伯母夫婦の後見をしていたようだ。
深い関わりを持っていた両家だったが、証言者によると、父の実家は坂下家の世話をしつつ、その逃亡を防ぐために監視する役目を負った家だったらしい。
以前、読者の方に『憑き護』に付いて質問を受け、回答したことがあった(自分の身元がばれたかと一瞬焦りもしたのだが)。
俺が10代の頃、『寅爺』に連れられて坂下家の娘さんが遊びに来たことがあった。
耳が悪く、言葉も話せなかったが、とても綺麗な女性だった。
彼女は絵が上手く、不思議な力を持っていた。
こちらが考えていることや、前の晩に見た夢の内容を恐ろしく正確に、いつも肌身離さずに持っていたスケッチブックに描いたのだ。
坂下家には、代々、何らかの障害と共に、こういった不思議な力を持った娘が生まれるそうだ。
この女性は数年後、20代の若さで亡くなってしまったのだが……
姉の結婚式の時、不思議な力を持った坂下家の娘が『人柱』にされていた話を俺は最後の生き残りとなっていた『寅爺』に聞かされていた。
一木氏の話は俺の記憶に合致し、それを補強するものだった。
坂下家は、いわゆる一種の『憑き護』の家系だったのだ。


1936 :日系朝鮮人 ◆cmuuOjbHnQ:2012/12/19(水) 06:10:49 id:cFFR5zTA0

父たちの帰国時、伯母夫婦は既に亡くなっていた。
米軍機による機銃掃射に巻き込まれて死んだと言う説明だった。
だが、一木氏の話によるとそうではなかったらしい。
伯母夫婦は、集落の若衆……証言者の父親達によって惨殺されたらしい。
帰国後、暫くして亡くなったという次女も、病死ということになっているが、そうではなかったようだ。
昔から『実家』にいた頃の話をしたがらない父に尋ねても真相は聞けまい。
何故、父の実家はそれほどまでに恨みを買っていたのだろうか?
一木氏による証言者の話では、集落の元いた『村』が滅びる『原因』を作ったのが、俺の先祖だった……らしいのだ。

証言者の話によると、『人柱』は村を見下ろす『御山の御神木』に磔の形で捧げられていたらしい。
代々、坂下家の世話をしながら監視を続けていた俺の家の長男が、人柱を捧げる役目を負っていたようだ。
だが、何代前だかは知らないが、人柱を捧げるべき俺の家の男が、『人柱』の娘を連れて村から逃亡したらしい。
男は追手を何人も斬り殺し、娘を連れたまま逃げ果せたそうだ。
逃げた二人がどうなったのかは判らない。
娘を連れて逃げた男の父親は『御神木』を切り倒し、『御山』に火を放ち焼き払った。
御神木を切り倒した男は、逃亡を図ろうとしたのか、追手を食い止めようとしたのかは判らないが、激しく抵抗した上で、片目を矢で射抜かれて死んだそうだ。
村の『名主』の子孫だという証言者の先祖が逃亡した男に斬り殺され、その父親が御神木を切り倒した男を射殺したと伝えられているそうだ。


1937 :日系朝鮮人 ◆cmuuOjbHnQ:2012/12/19(水) 06:12:05 id:cFFR5zTA0

一木氏の話を聞いて、俺の背中にゾクリと冷たいものが走った。
隠していた悪事をいきなり暴露されたかのような、異様な、そして経験したことのないような衝撃を俺は感じていた。
坂下家と俺の先祖の生き残りは、村を追放された。
両家の者は、山二つを越えた漁村に落ち延びた。
俺の先祖は医術だか薬草学の知識があったらしく、流行病で住民が次々と死んでいた村を救い、村での居住を許されたようだ。
先祖が元いた村は、『御神木』が失われた以降、井戸や川が枯れ、飢饉や疫病が続き、多くの村人が近隣の村へと逃亡したそうだ。
そして、ある年、嵐による大雨が続いた村は神木のあった山の『山津波』によって全滅したらしい。
生き残りの者たちは村の全滅を『御神木』の祟りとして、俺の先祖や一族を深く恨んだようだ。
滅んだ村の生き残りは、俺の先祖や坂下家を受け入れた村に次々と入り込み、いつの間にか村を乗っ取っていた。
俺の一族と坂下家は生贄や人柱を捧げさせられることこそ無くなったが、元のように監視され、集落内での差別と呪詛を一身に受け続けた。
それから何年、何世代経ったのかは判らない。
俺の一族には男の子が産まれなくなり、養子に貰った男の子も育たなくなった。
一族の女の嫁ぎ先でも似たような状況になったらしく、断絶した家もあって『XX家の地獄腹』と言われていたそうだ。
証言者は、今でも俺たち一族を恨み呪っているらしい。
『恨み』が語り継がれ『呪詛』と『差別』が残った。
だが、正直なところ、何世代、何百年も前のことで人を差別し、恨みを持続できる心情を俺は理解できなかった。
彼らの論法で言えば、一度も会ったことはないが、二人の伯母を殺されている俺の方が恨みや呪いを抱く『適格』があるだろう。
だが、俺は、証言者や祖父の葬儀と調査の為に二度しか行ったことのない田舎の人間を恨んだり呪ったりする程の生々しい感情は持ち得ないというのが正直なところだった。
俺は、正直な感想を一木氏に伝えた。


1938 :日系朝鮮人 ◆cmuuOjbHnQ:2012/12/19(水) 06:13:43 id:cFFR5zTA0

一木氏は俺の言葉を肯定するように頷いたあと、さらに言葉を続けた。
「彼らが、君の一族に世代を超えて呪詛を向け続ける理由は確かにあるのだよ。切実な形でね」
問題の集落は近くに鉄道の駅ができ、国道が整備され、過剰なほどの県道や市道が整備され、元いた住民よりもここ2・30年ほどで流入した人口のほうが多いらしい。
最早、外見上は『被差別部落』の残滓を探すことも難しい現状のようだ。
だが、『部落』の子孫、俺たち一族と坂下家を追放した連中の子孫には深刻な『祟り』が残っているそうだ。
『部落』の子孫たちには生まれつき外貌や知能に障害を負った者や、常軌を逸して凶暴だったり乱脈だったりといった精神や性格に問題のある者、難病を患う者が絶えないらしい。
家族にそう言った問題を抱えていない家庭はないと言えるくらいの頻度だそうだ。
それが何世代も続いて、俺たち一族への恨みや呪詛は今でも語り継がれているらしい。
そして、何よりも彼らにとって重大だったのは、神木が切り倒され山が焼払われて以降、彼らの信仰の対象だった『白壁の神』の姿を見ることが出来なくなった事だった。

一木氏は更に言葉を続けた。
一木氏や他の霊能者の見立てでは、父と俺は、本来は生まれてこないはずの人間だったらしい。
これは、坂下家と俺の一族の背負った『業』のようだ。
両家の命数は既に尽きている……という事だった。
一木氏の言葉を俺は受け容れざるを得なかった。
認めたくはないが、坂下家は既に断絶し、俺の一族も恐らく、俺たちの代で絶えるであろうことは俺も予感しているからだ。
嫁に行った姉は不妊持ちで既に治療を諦めているし、俺と妹は結婚の予定もない。
俺はこれまで碌に避妊などしたことはないが女を孕ませたことはなく、アリサを喪った事故以来、性的には不能状態なのだ。


1939 :日系朝鮮人 ◆cmuuOjbHnQ:2012/12/19(水) 06:15:48 id:cFFR5zTA0

既に滅んでいたはずの俺たちの一族を今日まで存続させてきた理由があるとすれば、それは、祖父母による朝鮮への『移住』だった。
『日系朝鮮人』として朝鮮の土になる、その覚悟が一時的にではあったかも知れないが、俺たち一族の『滅びの業』を食い止めたのだろうか?
そんな俺の思いを一木氏の言葉は打ち砕いた。
「君たちの一族の『ガフの部屋』には、本来、次なる魂は用意されていなかったのだ。
もう君も気づいているのではないか?
君の父親は、生贄の女と息子を逃した男の生まれ変わりだ。
そして、君は生贄の女を連れて逃げた男の生まれ変わり……いや、そうではないな。
生贄の女と逃げた男の生まれ変わりだ」
俺は、ぞわっと全身の毛が逆立つのを感じた。
『何を言っていやがる、このジジイ!ぶっ殺してやる!』何故か俺は、激しい憎悪と殺意に囚われた。
そんな俺の激情を受け流すように一木氏は静かに言った。
「君には、断絶した記憶が有るはずだ。その断絶した時点の記憶を思い出すのだ」
俺は、激高を抑えるように、記憶の断絶点、子供の頃、川で溺れて死にかけた時のことを思い出した。
すると、妙な記憶?……映像が浮かび上がってきた。
俺は、水の底から子供の足を掴み、その子供を水中に引き摺り込んだのだ。
子供の顔は見えなかったが、俺は子供の首を絞めていた。
何なのだ、このイメージは!


1940 :日系朝鮮人 ◆cmuuOjbHnQ:2012/12/19(水) 06:17:06 id:cFFR5zTA0

一木氏は言った。
「それが君だ。君は女の魂を宿した子供を殺そうとした、言わば『悪霊』……
だが、君自身も女の魂……『悪霊』に殺されそうになったことがあるはずだ」
俺に瀕死の重傷を負わせ、アリサの命を奪った『ノリコ』のことか?
俺の体には異様な悪寒が走っていた。
アリサやほのか、その他の性同一性障害を持ったニューハーフの女性たちに抱いていた不思議なシンパシー……
俺自身が妙だと感じていた感情の理由を俺は突き付けられた気がした。
一木氏は、更に追い討ちをかけるように言った。
「君は、朝鮮時代に君の祖父母たち一家に雇われていた『お手伝い』の女性の話は聞いたことがあるかな?」
「あります。父が話すとき『オモニ』と呼んでいる女性ですね。引き揚げの直前まで実の子のように可愛がってもらっていたそうです」
「その女性が、方 聖海(パン ソンヘ……Pの父親)氏の伯母に当たる人物だ。
君達は知らないかもしれないが、非常に高名な呪術師だった。
様々な呪術を用いたが、朝鮮でも今ではもう絶えて居ない『反魂の法』の数少ない実践者だった。
君の祖父は、『反魂の法』の対価として、その権力を用いて、彼女の弟一家を日本に……」
こみ上げてくる吐き気を押さえ込むように、俺は言った。
「もういい。十分だ。もう止めてくれ」
一木氏は、静かに言った。
「そうだな……私の話したいこと、話せることは殆ど話した。ここまでにしよう」


1941 :日系朝鮮人 ◆cmuuOjbHnQ:2012/12/19(水) 06:18:29 id:cFFR5zTA0

俺の両目からは涙が流れ、止まらなくなっていた。
木島氏の顔は青ざめ、何も言おうとはしない。
一木氏が部屋を出たあと、榊氏が俺の前に跪き、涙を流しながら言った。
「済まない……本当に、余計な……済まないことをしてしまった。
私は、そして家内も夢を見ていたんだ……。
榊家など継いでくれなくても良いから、君が孫の……奈津子の夫になって欲しいと。
あの子が君のことを話さない日はないんだ……私も家内も君のことは本当に気に入っている。
そして、あの子の願うことなら全て叶えてやりたい……だが、それは出来ない。
あの子は私たちの全てだ。
あの子を失うようなことは絶対にできない。
勝手なことを言ってすまない、もう二度と奈津子にもチヅさんにも関わらないでくれ」
榊夫妻は木島氏に伴われて部屋を出ていった。


1942 :日系朝鮮人 ◆cmuuOjbHnQ:2012/12/19(水) 06:19:37 id:cFFR5zTA0

呆然とする俺に、和装の老女が語りかけた。
「私たちもね、まさかこんな結果になるとは思っていなかったのよ。本当に。
貴方の一族が対峙している『神』の正体は私達には判らないの。ごめんなさいね。
榊さんが是非あなたを奈津子さんの婿に迎えたいから、調べて欲しいという事だったのだけどね。
あなたには特殊な『才能』があったから、それを把握するためにもね……。
私たちも、あなたに榊さんの家に伝わる『術』を受け継いで欲しかったのよ。
でも、調べれば調べるほどに……あなた方の一族は……」
俺は何も言えなかった。
そんな俺に、老女は言葉を続けた。
「……あなた、本当に人を好きになったこと、ある?」
「ありますよ。もちろん」
「貴方が人を愛することをこの『神』は許さない。
あなたが愛した人は、その意思に関わりなくあなたから引き離されて行く。それが運命なの。
それに抵抗してあなたと一緒に、側に居ようとする人は命を奪われるでしょう。この『神』にね」
「それが『呪い』なのか?
……呪いなら、マサさんのあの『井戸』で……」
「それは、無理でしょうね……あなたに降りかかっているものは『呪い』の類ではないから。
むしろ『愛』に近いのかも……」
「そんな……馬鹿な」


1943 :日系朝鮮人 ◆cmuuOjbHnQ:2012/12/19(水) 06:20:54 id:cFFR5zTA0

「いいえ。本当よ。
あなたはこの国にいる限り、『定められた日』までは、どんな災厄に巻き込まれようとも生き残り続けるでしょう。
周りの人が死に絶えるような事態に陥っても……物凄く強力な『神』の加護があるから。
でもね、あなたの周りの人は、あなたの『加護』には耐えられない。
あなたに愛されたら、一緒にいれば命を落としかねない。
奈津子さんは、とても強い力を持った娘だから、命を奪われるまで抵抗してあなたの側に居ようとするでしょうから……
でも、それは、榊さんご夫婦には耐えられないことなのよ。
判ってあげて欲しい。
……そうでなくても、あなた自身が奈津子さんの側に居てあげられる時間はそう長くはないから……」
「あんたの言う『定められた日』とやらは近いのかい?」
「ええ。近いわね。
……ところで、あなたに夢はある?どんな望みを持っている?」


1944 :日系朝鮮人 ◆cmuuOjbHnQ:2012/12/19(水) 06:22:02 id:cFFR5zTA0

女の言葉に、俺の家族や木島一家の顔が浮かんだ。
「大した望みはないよ。
とびっきりの美人でなくてもいいから、よく笑う可愛い嫁さんを貰うんだ。
尻に敷かれたっていい。
安月給でもいいから、昼間の普通の仕事に就いて、毎朝ケツを叩かれて満員電車に揺られて……
朝から晩までこき使われて、疲れて家に帰るとカミさんと子供が『お帰りっ』て、迎えてくれて……
子供は勉強なんて出来なくて良いから、ひたすら元気で、休みの日にはクタクタになるまで遊ぶんだ……
月曜日の朝には、またケツを叩かれて……そんな生活がずっと続くんだよ。
そのうち、俺もカミさんも爺さん婆さんになって、孫と遊んだり小遣いをせびられたりして……ああ……」
そう言いながら俺は自分の声が震えているのに気づいた。
「素敵な夢ね」
「だが、もう叶うことはない……そうなんだろ?」
「いいえ、夢は叶うわよ?
いつもその夢を思い続ければ……寝ても覚めても想い続けて、祈り続ければ……。
人間の精神の力は、人の『想い』は、翼のない人間に空を飛ばさせ、神界だった星の世界に生きた人間を送り込んだでしょう?
人の心は、あらゆる不可能を可能にしてきたじゃない!
どんな邪な願いであっても、願い続ければ必ず叶う……道元禅師も言っているわ。
それが例え『神の意思』に反したとしても、生きて祈り続ければ必ず叶うわよ」


1945 :日系朝鮮人 ◆cmuuOjbHnQ:2012/12/19(水) 06:23:19 id:cFFR5zTA0

「随分とプラス思考なんだな。あんた、何者なんだい?」
「一木 燿子、さっきまで貴方と話していた一木貴章の姉よ。
私の姉の祥子は、あなたの師匠、『マサ』の母親なのよ。
長いあいだ患っていて、最近亡くなってしまったのだけどね。
姉は、あなたにも逢いたがっていたわ。さっき言った事は姉の受け売り。
姉は、あなたがさっき言っていたような人生をいつかは息子が送れますようにって、生前、ずっと祈っていた。
マサも、多分あなたのような夢を抱きながら、これまでの人生を耐えてきたのだと思う。
私は、姉の祈りを引き継いで甥の為に祈り続けるわ。
貴方のことも祈ってあげる……それしかしてあげられないから。
だから、あなたにも夢をあきらめずに祈り続けて……生き続けて欲しい」
「ありがとう。……お返しと言っては何だけど、俺に何か出来ることはあるかな?」
一木燿子は、俺に一枚のメモを渡した。
「これをマサに渡してあげて。
生前、姉はマサに会うことを許されなかった……そういう『契約』だったからね。
姉の、マサの母親のお墓の住所なの……必ず、お願いね」

俺は、木島家を出るとそのまま駅へと向かった。
ホームでマサさんやイサム達の待つ地元に向かう列車を待ちながら、ふと思った。
『随分、遠い所まで来たしまったんだな』
地元に戻ったら両親に電話して、久しぶりに実家に帰ろう……そう思った。


おわり

 

呪いの井戸

1736 :呪いの井戸 ◆cmuuOjbHnQ:2012/11/16(金) 04:26:47 id:Jx756Ba60

こっそりと投下させて頂きます。

イサムと出かけたロングツーリングの終盤の話だ。
 
俺たちは、関東の某県に住むマサさんの古い知人を訪ねていた。
ヤスさん……忍足 靖氏は、個人タクシーを生業としており、呪術や霊能の世界とは基本的に関わりを持たない人物だ。
年齢は70歳を過ぎているはずだが、その身から発散される『肉の圧力』は老人のものではない。
服を脱ぐと顔だけ老人で、首から下のパーツの全てが厚くて太い。
何かの冗談のような取合せだ。
70歳を過ぎた現在でもベンチプレスで100kg以上を挙げ、スクワットやデッドリフトはフルで150kg以上を扱うという妖怪ぶりだ。
並のタクシー強盗など返り討ちにされるだろう。
以前、マサさんは、夜間は都内の某大学に通いながら、ある霊能者の元で修行していたらしいのだが、その時、ヤスさん宅に下宿していたそうだ。
マサさんの説明では、ヤスさんはマサさんの『空手の先生』だという事だった。
マサさんの母校のすぐ近くには同系の流派の高名な先生の道場があるらしいのだが、マサさんはヤスさんの指導に拘った。
その気持ちは判らなくはない。
俺自身、70歳を過ぎたヤスさんとまともに渡り合って勝てる自信はないからだ。
俺とイサムはマサさんが使っていたという部屋をあてがわれた。
10畳ほどの室内には何百冊あるのか判らないが、大量の古い書籍が平積みされていた。
全てマサさんの物らしい。
マサさんが出て行くときに「全て『覚えた』から捨てて良い」と言ったらしいが、そのまま残しておいたそうだ。


1737 :呪いの井戸 ◆cmuuOjbHnQ:2012/11/16(金) 04:27:31 id:Jx756Ba60

「マサの奴から、兄さんの『治療』のことは聞いている。
多分、明日の晩あたりに来ると思うから、その時に診てもらうと良いよ」
「……?……来るって、誰が?」
そう聞くと、ヤスさんは小指を立てながら言った。
「ああ、俺の『コレ』だよ」
「?」
 
翌日の夕方、居間でイサムとヤスさんの飼い猫を構いながらゴロゴロしていると、玄関の扉が開く音が聞こえ、女が一人入ってきた。
30代半ば位の女で、食材でも入っているのだろうか、大きな買い物袋を持っていた。
固まっている俺とイサムに向かって女は言った。
「あの人は?」
「……明けなので、まだ2階で寝ています」
そうイサムが答えると、女は袋を台所に置いて2階に上がっていった。
「先輩、今の人、何なんでしょうね?」
「さあ……。ヤスさんの娘さん……かな?」
「……ですよね~。服装はちょっとアレだけど……でも、ヤスさんの娘さんにしては、綺麗な人でしたね」
そうは言ったものの、スキンヘッドの千葉真一といった風貌のヤスさんと女は似ても似つかない感じで、血縁関係は無さそうだった。


1738 :呪いの井戸 ◆cmuuOjbHnQ:2012/11/16(金) 04:28:41 id:Jx756Ba60

10分ほどすると、ヤスさんと女が2階から降りてきた。
俺はヤスさんに「その女性(ひと)は?」と尋ねた。
女が答えた。
「ワタシは、陳 千恵(チェン チェンフィ)と言います」
「え……っと、チェンフィさんは、ヤスさんとどういった関係で?」
チェンフィは少し照れた様子で言った。
「ん~、ヤスさんのカノジョ……かなw」
俺とイサムは顔を見合わせた。
お互いに言いたいことは判っていた。
『嘘だろ!』
まあ、熟女ブームとやらで、老女に欲情する若い男もいるのだ。
逆のパターンもあっても良いのだろう。
だが改めて思った。
男女関係ってディープだ……。
意外なことに、チェンフィは治療家としてはかなりの人物らしい。
後に木島氏を訪ねた折に聞いたところでは、俺のような有象無象が彼女の治療を受けることは殆ど不可能なことのようだ。
治療家としての彼女もだが、彼女の祖父がかなりの人物らしい。
小顔に不釣合いな大きな眼鏡。
しま○ら辺で売っていそうなジャージ姿に便所下駄?を引っ掛け、買い物袋をぶら下げた小柄な女が、そんな人物だとはとても信じられなかったが……。


1739 :呪いの井戸 ◆cmuuOjbHnQ:2012/11/16(金) 04:29:27 id:Jx756Ba60

俺はチェンフィから『移入の法』を含めた数種類の治療を受けた。
今でも定期的にヤスさんの元を訪れ、チェンフィの診察を受けなければならないが、彼女の治療により、俺は長年苦しんできた諸々の症状から解放されたのだ。
逗留中、俺はヤスさんとマサさんの関係を尋ねた。
軽い気持ちで尋ねたのだが、俺とイサムはヤスさんの口から意外な話を聞くことになった。
ヤスさんは、マサさんの『井戸』を作った関係者だったのだ。
 
詳しい事情は判らないが、ヤスさんは郷里から東京に『逃げて来た』ということだ。
簡易宿泊所をねぐらに日雇い仕事で食つないでいたヤスさんは、恋人も友人もなく、孤独を紛らわすために休日は上野の公園で時間を潰していたそうだ。
そんなヤスさんは、一人の男と出会った。
隻腕で足を引き摺って歩く当時50代くらいのその男は、台湾人の傷痍軍人だった。
戦いに傷付いた身体を通行人に晒して小銭を得ていたその男と顔見知りになったヤスさんは、やがて男の分の握り飯を持って公園を訪れるようになった。
台湾に妻子がいるという彼が、なぜ日本に留まり続けているのかは判らなかった。
それを尋ねる気も無かった。
ヤスさんも郷里を捨てた理由は話せないのだ。
尋ねられたところで、結局は嘘を吐かなければならない。
ならば、お互いに聞かない方が良い。
そう思っていたそうだ。


1740 :呪いの井戸 ◆cmuuOjbHnQ:2012/11/16(金) 04:29:57 id:Jx756Ba60

あるとき、ヤスさんは現場での作業中、足に酷い怪我をしたそうだ。
歩くだけでも相当痛んだらしいが、日雇い仕事でその日暮らしだったヤスさんは仕事を休むわけにはいかない。
無理を重ねた結果、さらに腰まで痛めて動けなくなってしまったそうだ。
仕事に出れなくなって2週間ほどで蓄えも底を尽き、ねぐらの簡易宿泊所を追い出されホームレスになった。
だが、上野の公園近辺で野宿をしていたヤスさんに救いの主が現れた。
例の台湾人の傷痍軍人、陳さんだった。
陳さんは、ヤスさんを自分のねぐらへと連れて行き、ヤスさんに飯を食わせ、治療を施した。
まだ若く、しっかりと休養を取れたおかげでもあったのだろうが、ヤスさんは身動きが全く取れないような激痛から1週間ほどで回復し、元の体に戻ることができた。
ヤスさんが転がり込んだ陳さんのねぐらは、とある工務店の社員寮だった。
隻腕で歩行にも障害のある陳さんが建築作業や土木作業に従事できるとはとても思えない。
だが、陳さんは『先生』と呼ばれ、丁重に扱われていたそうだ。
ヤスさんは、そのまま日払いの人夫としてその工務店に雇われ、寮に住み込みながら働き始めた。
この工務店で職長をしていた喜屋武という沖縄出身の男がヤスさんに空手を仕込んだらしい。
だが、喜屋武を始め古株の職人や社員たちは、ヤスさんやその他の日払い契約の寮住まいの連中とは仕事上必要な最低限以上の関係を持とうとはしなかった。
ヤスさんは『感じの悪い連中だ』と思いながらも、黙々と日々の仕事をこなし続けた。


1741 :呪いの井戸 ◆cmuuOjbHnQ:2012/11/16(金) 04:30:59 id:Jx756Ba60

ある時、喜屋武と社員の男が、ヤスさんの後から入ってきた男たちを3人ほど連れて、夜の街に繰り出していった。
男達によると、いい店で高い酒を飲ませてもらった上に、女まで抱かせてもらったということだった。
その話を聞いて「なんであいつらばっかり!」と連れて行ってもらえなかった他の2人が不満を漏らした。
ヤスさんは『どうでもいい』と、特に不満を漏らすこともなく、我関せずの態度をとっていた。
そんなヤスさんに古株の職人の一人が話しかけてきた。
「まあ、腐るなよ。あいつらは『あれ』だからな……」
「あれ?」
「ん、まあ、そのうち判るさ……」
次の週、ヤスさん達はある病院の建築現場に派遣された。
その現場は、労災事故が続き、工事が何度も中断して工期が大きく遅れていたそうだ。
そして、ヤスさん達が現場に入って3日目に大きな事故が起こった。
クレーンで揚重中に玉掛けのロープが外れて資材が落下。
3名の死者が出たのだ。
死んだのは喜屋武が飲みに連れ出した例の3人組だった。
だが、その事故を境に頻発した労災事故はピタリと止み、工程が順調に進むようになったそうだ。


1742 :呪いの井戸 ◆cmuuOjbHnQ:2012/11/16(金) 04:31:58 id:Jx756Ba60

その後も喜屋武や他の社員が寮の人夫を飲みに連れ出し、その人夫が事故死すると言った出来事が何度も続いた。
勘の働く奴もいるようで、飲みに連れて行かれたあと寮から逃げ出した者もいたらしい。
ヤスさんも何度か喜屋武たちに飲みに連れ出されたが、ヤスさん自身は特に怪我をすることもなく無事に過ごし、いつの間にか日雇い寮で一番の古株になっていた。
そんなヤスさんが、ある日社長に呼び出された。
日雇いではなく正社員にならないかと言うことだった。
ヤスさんが申し出を受けて社員になると、それまでの態度が嘘のように職人やほかの社員たちはヤスさんに親しく接するようになった。
陳さんの勧めでヤスさんが喜屋武から空手を習い始めたのも、正社員になってからだ。
そして、以前『腐るな』とヤスさん話しかけてきた男がこう言ったそうだ。
「日雇いの連中とは出来るだけ関わるな。情が移ると良くないからな。
……お前も、もう、何となく判っているんだろ?」
社員となって初めて、ヤスさんは、喜屋武を始めとした古株の職人や社員の多くがヤスさんと同じような寮住まいの日雇い人夫あがりの『生き残り』であることを知った。
やがて、ヤスさんは『この現場は危ないな』とか、『この現場は何人持っていかれるな』という事が直感で判るようになって行った。
そして、陳さんと喜屋武と飲みに行った折に聞かされたそうだ。
「『ウチ』は普通の工務店じゃないんだ……」
曰く付きの土地での工事で、その土地に捧げる『生贄』や『人柱』となる人間を集めて派遣することが、ヤスさん達の工務店の『裏の本業』だった。
陳さんは土地に生贄を捧げる『儀式』を執り行うと共に、『護り』のない人間……家族や友人、先祖やその他諸々との『縁』の無い人間を見つけ出して集める役目を負っていたのだ。
ヤスさんや喜屋武、ほかの社員たちは『護り』が無いにも拘わらず生き残った、異常にしぶとく生命力の強い『個体』ということらしい。
そして、その中でもヤスさんと喜屋武は、殊、生存ということに関しては一種の『異能者』と呼べるだろう。
何故ならば、あのマサさんの井戸に関わって生き残ったのだから。


1743 :呪いの井戸 ◆cmuuOjbHnQ:2012/11/16(金) 04:32:54 id:Jx756Ba60

マサさんの父親が韓国から持ち込んだ『呪いの井戸』の起源は明らかではないそうだ。
『家伝』によれば、百済滅亡の折に朝鮮半島に残留した貴族が、彼の一族を虐殺し、国を滅ぼした唐と新羅を呪うために作らせたもの……と、されている。
この井戸は、半島本土からマサさんの先祖が住んでいた済州島に移設された。
三別抄の乱の折、耽羅に落ち延びた三別抄に同行した呪術師によって持ち込まれた……らしい。
『元』を呪うために井戸を持ち込んだ呪術師は、三別抄の乱鎮圧後、耽羅総管府により捕らえられ処刑された。
だが、『井戸』とそれに関わる呪法は、済州島三姓神話の『神人』の直系子孫を自認し、神話になぞらえて代々日本の呪術師の集団と縁戚関係を結び続けてきたマサさんの一族に託された。
どうやら、この『井戸の呪法』を作り上げ、伝えてきた呪術師一族も日本と深い関係があり、代々マサさんの一族とも接触があったようだ。
マサさんによれば、その『効果』は兎も角、井戸の呪法の縁起自体は恐らくハッタリを含んだこじつけだろうという事だった。
だが、マサさんの祖母と母親が日本人なのは確かだということだ。


1744 :呪いの井戸 ◆cmuuOjbHnQ:2012/11/16(金) 04:33:41 id:Jx756Ba60

マサさんの父親が『井戸』を日本に持ち込む切っ掛けとなったのは、8万人にも及ぶ住民虐殺事件である『済州島4・3事件』だったらしい。
マサさんの父親は、同じ韓国人でありながら、同胞である済州島民の虐殺と島の焦土化を命じた大統領の呪殺を試みたが失敗した。
以前にも少し触れたかと思うが『天運の上昇期』にある人物の呪殺は非常に困難なのだ。
彼の大統領は狂人であったが、同時に巨大な『精神的質量』あるいは『恨』の持ち主だった。
やがて彼は、韓国を追われハワイに亡命した。
そして、真偽は不明だが、そこで『呪詛』を仕掛けた。
建国の父であり『王』たるべき自分を4・19学生革命で追い落とした韓国の民衆と、彼の積年の『恨』の対象である日本に対する呪詛だ。
実際に『呪詛』が仕掛けられたのか、その呪詛が功を奏したのかについては、俺に判断することはできない。
だが、『呪詛』が本当ならば、韓国民の意識ないし精神の『流れ』が、異様な程に強烈な『反日』へと流れ、固定化される切っ掛けのひとつには成り得たと思う。
一個人の強烈な精神が民衆を煽動し、破滅まで突き進んだ例は他にもあるからだ。
朝鮮人がその精神の深奥に抱き続けた日本への漠然とした『恨』は、今や巨大なうねりとなって民族全体の『呪詛』に育っている。


1745 :呪いの井戸 ◆cmuuOjbHnQ:2012/11/16(金) 04:36:27 id:Jx756Ba60

人を呪わば穴二つの言葉通り、呪詛は必ず仕掛けた者に返る。
仕掛けた相手を『護る』力と共に。
朝鮮民族、特に韓国民が日本や日本人に向けた呪詛は、やがて彼ら自身に強烈な『呪詛返し』となって返る。
強大な日本の『護りの呪力』と共に。
強大な日本の呪力は、呪詛返しとして一旦発動すれば、もはや誰にも止められず、朝鮮民族を滅ぼすだろう。
日本人の精神の深奥に蓄積し続けた『呪詛返し』の内圧もまた、彼らの向けた『呪詛』に呼応して上昇を続けているのだ。
朝鮮民族に呪詛返しとして返る呪詛のエネルギーは朝鮮人自身のものでなければならない。
日本国内に危険な『呪いの井戸』と『井戸の呪法』を持ち込むことが許され、マサさん親子が『井戸の呪法』にこだわった理由だ。
日本に移ったマサさんは、朝鮮人朝鮮人に関わる呪詛やその他諸々の『悪しきモノ』をその身に受け、『井戸』に送り込み続けた。
 
ヤスさん達は、とある土地に送り込まれた。
この土地は、木島氏たちが所属する呪術団体が管理する地脈の空白地帯『ゼロ・スポット』の一つだった。
工事は、韓国から来た呪術師と台湾人呪術師……マサさんの父親と隻腕の傷痍軍人・陳さんの手による儀式と並行して行われた。
工事現場には一人の少年がいた。
韓国人呪術師の息子だ。
まだ、日本語に難のあった暗い目をしたこの少年に、ヤスさんと喜屋武は、彼の気が紛れれば良いと思って彼らの空手を仕込んだ。
既に心得のあった少年は、ヤスさん達の教えを驚くべき速さで吸収していった。
この少年がマサさんだった。


1746 :呪いの井戸 ◆cmuuOjbHnQ:2012/11/16(金) 04:37:19 id:Jx756Ba60

やがて、工事は完成した。
だが、ヤスさんの周りで次々と怪死事件が起こった。
『呪いの井戸』建設関わった工務店の社員、……皆、曰く付きの危険な現場に『人柱』として送り込まれても尚、生き残ってきたしぶとい連中だったが……
陳氏と喜屋武氏、そしてヤスさんの3人を除く、社長をはじめとした社員24名が井戸の完成後3年間で死に絶えたそうだ。
陳氏は、井戸の工事の完了後、故国の台湾へと帰っていった。
会社が潰れてしばらくの間、喜屋武氏は知人の沖縄料理店を手伝っていたらしいが、やがて同郷の人間に誘われて南米へと移住した。
何処にも行く当てのないヤスさんは、タクシー会社に就職し、定年後、個人タクシーを始めた。
陳氏とは、彼の帰国後も連絡を取り続け、ヤスさんを頼って孫娘のチェンフィが来日。
独り者のヤスさんの身の回りの世話をしているうちに現在のような関係になったそうだ。

俺は、ヤスさん、そして儀式を行った呪術師の孫であるチェンフィに井戸について他に知っていることはないか訊ねた。
『井戸の地』で俺やイサム自身が見聞きしたことを全て話した上で……。
ヤスさんによると、井戸を掘り終わったあと、井戸に『黒い石』で蓋をするまでは、『井戸』や井戸のある土地に打たれていた鉄杭はまだ無かったそうだ。
チェンフィによれば、井戸を『黒い石』で塞ぎ、鉄杭を打ったのは、恐らく、チェンフィの祖父だろうということだった。
どうやら、台湾にも『悪いモノ』を『井戸』に封じ込める呪術があるようだ。
マサさんの父親がどんな儀式を行っていたのかはわからないが、彼が毎晩儀式をしている間は、一般人でも判る程に『空気』が重くなり、あの地にいた者はみな一様に激しい頭痛と耳鳴りに襲われたそうだ。
そして、チェンフィの説明によると『地光』と言うらしいのだが、井戸の周りの木々の葉や、岩が赤く薄ぼんやりと発光していたらしい。
俺には、確認したわけではないが確信があった。
恐らく、マサさんの父親は『三角陣』を用いた儀式を行っていたのだろう。
韓国、恐らく済州島にあった『井戸』から、三角陣を用いてオイラー線に乗せて日本に新たに作った『井戸』に井戸の中身を送り込んだのではないだろうか?


1747 :呪いの井戸 ◆cmuuOjbHnQ:2012/11/16(金) 04:38:13 id:Jx756Ba60

ヤスさんによると、井戸に『黒い石』で蓋がされる前に、ヤスさん達は井戸の中に『何か』を入れた。
鉄枠で補強された各辺20cm位の立方体の頑丈そうな木の箱だったそうだ。
中身は何か判らないが、20kg位の鉄か何かの塊が入っていたようだ。
現場に派遣されていた社員たちは、マサさんの父親に木箱を井戸まで運ぶように指示された。
だが、誰も木箱を持ち上げることができない。
何とか持ち上げることが出来たのはヤスさんと喜屋武氏だけだったらしい。
ヤスさんと喜屋武氏は井戸まで箱を運び、二人で箱を井戸の底まで下ろしたそうだ。
箱を持ち上げることのできたヤスさんと喜屋武氏の身に特に変わった事はなかったらしいが、工事と儀式の完了・撤収後、その『箱』に触れた者たちが次々と命を落としていった。
そして、謎の死は現場に派遣されなかったほかの社員たちにも広がり、結局、工務店の社員は社長を含め、ヤスさんと喜屋武、そして儀式の終了後、すぐに台湾に帰国した陳さんを除いた全員が相次いで命を落としていった。


1748 :呪いの井戸 ◆cmuuOjbHnQ:2012/11/16(金) 04:38:59 id:Jx756Ba60

ヤスさん宅に俺とイサムは3週間ほど逗留し、俺はチェンフィの治療を受けた。
「半年に1回は診察させてもらわなければならないけれど、肉体的な問題はもう大丈夫。
精神的な問題はあなた次第だけれども、肉体的不調からくるものは徐々に消えるでしょう」
ヤスさん宅を出た後、俺とイサムは地元に戻った。
シンさんやキムさん、空手道場の師範などに挨拶して回った。
イサムとマサさんの許を訪れ、イサムの姉に旅立ちの前に渡された石のお守りを返して、俺はイサムと別れた。
挨拶回りが終わり2・3日休んでいると、木島氏から連絡が入った。
俺は以前交した約束に従って、木島氏の許に向かった。


おわり

 

黒猫

1661 :黒猫 ◆cmuuOjbHnQ:2012/08/23(木) 11:23:54 id:GbxTGrZM0

お久しぶりです。

俺の住んでいたアパートは、築50年ほどの古い建物で、1階は元店舗、2階は4部屋で風呂なしトイレ共同の昭和の遺物のような物件だった。
1階のスペースを自由に使って良いのと、家賃が月2万8000円と激安の『昭和価格』だったことが決め手となって、結構長い間借り続けていた。
週に1度か2度、寝に帰るくらいの俺にとっては格安の物置兼屋根付きバイクガレージとして好都合だったのだ。
アパートには、耳の悪い爺さんとネパール人の若い男が住んでいて、トイレ前の部屋が1部屋空いていた。
猫好きの爺さんは、そろそろ尻尾が二つに裂けそうなヨボヨボの三毛猫と、どこからか拾ってきた黒白の毛足の長い洋猫を飼っていた。
爺さんが拾ってきたときは今にも死にそうな小さな子猫だったその猫は、数年後、体重10kg近くの巨体に成長していた。
特に肥満と言うわけではなく、ノルウェーなんとかキャットという元々デカくなる品種だったようだ。
この猫は俺にも良く懐いていて、俺が部屋にいる時には窓をガリガリとやって中に入ってきた。
体重10kgの『猫マフラー』は夏場には勘弁して欲しかったが、たまにアパートに帰るときはカリカリやお気に入りの『黒缶』を土産に買っていった。
そのお返しだろう、生保暮らしの爺さんは毎日のように出かける釣りで大漁だったときは、魚を良くくれた。
ネパール人の男、アナンドに言わせれば『猫のお下がり』らしかったが。
そんな爺さんがアパートで火事を出した。
俺の携帯にアナンドから、アパートが火事で全焼し、爺さんが病院に運ばれたと連絡が入った。
アナンドは夜勤に出ていて無事だったらしい。
火事の原因は、爺さんが消し忘れた仏壇の蝋燭が倒れて燃え移ったようだ。
耳が悪いうえに寝ていて出火に気付かなかった爺さんを洋猫の『ヤマト』が廊下まで引きずって助けたらしい。
長い付き合いの『ミケ』の方は素早く逃げ出し、火事のあと近所の『別宅』で見つかった。
爺さんは足と背中に火傷を負って一時危なかったらしいが、どうにか命は取り留めた。
アナンドと共に爺さんを見舞ったとき、爺さんは燃えてしまった俺のバイクのことをしきりに気にしていた。
実際のところは、部屋にあったパソコンや資料の方が痛かったのだが、金額的な損失はさほどではなかった。


1662 :黒猫 ◆cmuuOjbHnQ:2012/08/23(木) 11:26:10 id:GbxTGrZM0

俺のバイクは92年型のカワサキの1100ccだった。
モデルチェンジ直前に値下がりしたところを初めて新車購入した大型だ。
当時は世界最速。
その後、ホンダやスズキから同じカテゴリーのもっと早いバイクが出たが、いまひとつ気に入らず、結局20年近く乗り続けていたのだ。
爺さんは買って返すと言ったが、価格はともかく、中古市場にコンディションの良い車両など殆ど残っていないだろう。
よしんば有っても、生保暮らしの老人にそんな出費はさせられない。
俺とアナンドは爺さんに「気にするな」と言って、病院を後にした。
病院を出るとき、爺さんは『ヤマト』のことをしきりに気にしていた。
火事のあと『ミケ』は直ぐに見つかったのだが、爺さんを助けた『ヤマト』は行方不明のままだったのだ。
『ヤマト』はアパート前の道路を通学路にする小学生たちのアイドルだった。
「近所の家に保護されているんじゃないかな?見かけたら連絡するよ」と言ったが、『ヤマト』の行方は結局判らないままだった。
 
親や学校に隠れて16歳で中免を取って以来、事故って入院していた期間を除いて、俺のバイクなしの生活は最長になっていた。
ある日、俺は仕事帰りに、ぼちぼち次のバイクでも、と馴染みのバイク屋に立ち寄った。


1663 :黒猫 ◆cmuuOjbHnQ:2012/08/23(木) 11:27:19 id:GbxTGrZM0

「久しぶり、ダブジー燃えちゃったんだって?」
「ああ。だから、そろそろ次を探そうかなと思って」
「どんなの探してるのよ?」
「あんまりピピッと来るのがないんだよな。
俺もいい年だし、実用的で楽な奴が良いな。S1000RRとかZX10R辺り?」
「お前、サーキットや峠なんかもう殆ど行かないだろ?
街乗りやツーリングじゃ持て余すだけで良いこと無いぞ・・・それに、同じバイクに長く乗るタイプにSSは余り薦められないな」
「じゃあ、1400か?新ブサはイマイチ好みじゃないんだよな」
「いい加減、世界最速とか最高馬力は辞めとけよ。いい年なんだしさ。
もう少し大人しくて、まったり乗れる奴にしておきな」
「それもそうか・・・何か良いのある?」
「あるよ!お前好みの奴が。そろそろ来る頃だと思ってキープしてあったんだ」
バイク屋の店長はガレージから問題のバイクを引っ張り出してきた。
初期型のZX12R・・・最高速規制前の350km/hフルスケールメーターの付いたA1型と言う奴だ。
「ちょっと待て、コレのどこが大人しくてまったりと乗れるバイクなんだよwww」
「年式は古いし、少々距離は走っているがナラシは完璧で、しっかり回された極上物だよ。
出物の中古はコケてフレームが怪しいのや、碌に回さないでエンジンが腐ってるのが多いんだけどな。
Dタイプも駄目、ブラバやブサも気に入らなかった偏屈野郎には丁度良いと思うぞw」
「あんまり良い評判は聞かないけどね」
「乗れば判るよ。どうせ暇なんだろ?1週間ほど貸してやるから試しに乗ってみなって。
レンタル料3万。購入の場合は車両価格から引くからさ」
「OK。借りてくよ」


1664 :黒猫 ◆cmuuOjbHnQ:2012/08/23(木) 11:28:39 id:GbxTGrZM0

ZX12R・・・発売当時は同じカワサキから出ていた9Rの方に興味があったので試乗経験は無かった。
ZZRに比べると車重は軽いが、かなり腰高で重心が高い。
違和感を感じるほどにスクリーンも近い。
だが、ぱっと見とは違って意外にハンドルは近くて高く、操作はし易かった。
直線番長で曲がらないと聞いていたが、開けさえすればしっかり曲がった。
ただ、開けないとどうにも言う事を聞いてくれないので、万人向けではなさそうだ。
直ぐに手放すオーナーと乗り潰すまで長く乗り続けるオーナーの両極端だと言うのもうなづけた。
得意とされる高速走行は圧巻だった。
以前、出たばかりの初期型ブラックバードに試乗したとき、200km/h以上の速度でのレーンチェンジの軽さに感動したものだった。
ブレーキの違和感さえなければ乗り換えていただろう。
ZZRのD型やハヤブサは、加速力はともかく、この速度域での動きはブラックバードに比べると鈍重だ。
車列を縫ってのレーンチェンジはちょっと遠慮したい鈍さだ。
だが、この初期型ZX12Rは250km/h以上の速度域で200km/hでのブラックバードよりも更に軽快にレーンチェンジが決まった。
硬すぎるとも言われるモノコックフレームの剛性の高さもあるのだろうか、速度が上がるほどに車体の安定性が増して行くようだ。
店長が言ったように、まさに俺好みのバイクだった。
俺は連日、高速に上がって上機嫌でバイクを飛ばし続けた。
そして土曜日、バイクを返しに行く前日の夜がやってきた。


1665 :黒猫 ◆cmuuOjbHnQ:2012/08/23(木) 11:30:48 id:GbxTGrZM0

その日は道場に寄った所為もあったのだろうか、肩や首が妙に重たかった。
今夜は走りに行くのを辞めて、コイツに決めてしまおうかな・・・とも思ったが、スピードの誘惑には勝てず深夜の高速に上がった。
土曜の晩だというのに嘘のように他の車両を見かけなかった。
覆面もいない。
最高速アタック、行っちゃいますか!
1速落として『カチッ』と当たるまでアクセルON。
5速からだが凄い勢いでメーターの針が上がる。
全開から『チョン』と一瞬スロットルを戻して6速にシフトアップ
もたつく事無くレッドまで一気に回り切る。
すっげ~楽しい!
上り線を降りてUターン。下り線に乗ってしばらく140km/hほどで巡航。
気持ちよく真ん中の車線を流していると、バックミラーが黄色い強烈な光を反射した。
大型トラックか何かにハイビームで煽られたか?
うぜえ・・・追い越し車線に入ってさっさと抜いてけよ、と思ったが、光の主は一向に追い越し車線に入ろうとしない。
一向に煽りを止めない光に『ハイハイ、開けてやるからさっさと行けよ』と左の車線に移ったが、光は俺を追尾し続けた。
・・・なんだこいつ?
光を振り切るべく、俺はシフトダウンして一気に加速した。
一瞬でスピードメーターの針は真上を超し200km/hの速度に達した。
だが、背後からの光を一向に振り切れない。
馬鹿な?!
背中に嫌な汗が流れ出した。
俺は更にスロットルを捻った。
メーターの針は250km/hを超えていただろう。


1666 :黒猫:2012/08/23(木) 11:32:23 id:GbxTGrZM0

前方の闇に赤いテールランプが見える。
まずい、そう思ってスロットルを戻そうとした瞬間だった。
ゾクリと俺の背中に悪寒が走った。
前方から伸びた二本の手が俺の両手首を掴んだのだ!
思わず俺はスクリーンに伏せていた上体を起こした。
強烈な風圧に上体を持っていかれそうになった。
そして、スクリーンの向こう側を見た俺は凍りついた。
確かに見た。
顔面が半分石榴のように潰れた男の顔を!
男の残った片目と視線の合った俺は金縛り状態だった。
赤いテールランプは物凄い勢いで接近してくる。
『終わった・・・』
そう思った瞬間、首筋にふわふわした感触を感じ、耳元で『にゃあ』と猫の声を聞いた。
見覚えのある、フサフサの黒い長毛に覆われた、先の白い猫の前足が男の顔面を引っ掻いた。
その瞬間、フッと男と手が消え、俺の金縛りが解けた。
だが、恐らくミラーを見ていなかったのだろう、左車線を走っていた車がウインカーを点けて俺の走っていた中央車線に車線変更してきた。
俺は咄嗟に左レーンにレーンチェンジした。
ぶつかった!と思って、俺の体は硬直したが、間一髪、俺は衝突を免れた。
恐怖に震える手足で減速操作をして、俺は路肩にバイクを止めた。
足が震えてサイドスタンドが中々出せない。
難儀してやっとサイドスタンドを出してバイクを降りた俺は、腰が抜けたようにその場にへたり込んだ。


1667 :黒猫 ◆cmuuOjbHnQ:2012/08/23(木) 11:34:12 id:GbxTGrZM0

どれくらいの時間がたったのだろう、東の空が明るくなり出していた。
俺は、バイク屋の店長の携帯に電話を掛けた。
留守電に現在位置を吹き込むと、5分も待てずに再び電話を掛け直した。
そんなことを5・6回も繰り返すと眠そうな声の店長が電話に出た。
「何だよ、こんな時間に!」
イラッとした店長の声を聴いた瞬間、なぜか俺は激しい笑いの衝動に襲われた。
ゲラゲラ馬鹿笑いしながら「XX高速下り線の**辺りの路肩にいるからバイクを引き取りに来てくれ!」
「おい、何があった?事故ったのか?」
「いいから早く来いよ!大至急な!」
かなり急いできたのだろう、1時間ほどしてバイク屋のトラックが到着した。
店長の顔見ると先ほどまでの異様なテンションが水が引くように冷めていった。
そして、ガタガタと俺は震えだした。
「大丈夫かよ?」そう言って店長はお茶のペットボトルを渡した。
俺はうなづいて受け取った飲み物を飲み始めた。
その間、店長がトラックにバイクを載せる準備を始める。
「なんだよ、動くじゃねえかよ。足回りにも問題はないし、何があった?」


1668 :黒猫 ◆cmuuOjbHnQ:2012/08/23(木) 11:35:37 id:GbxTGrZM0

無言のまま、俺は店長の積み込み作業を横目にトラックの助手席に座った。
リフトを操作してバイクを積み込み、固定作業を終えた店長が運転席に乗り込んできた。
お互い無言のまま高速を降り、一般道に入った所で俺は店長に話しかけた。
「あのバイクさ、何か曰く付きのシロモノなんだろ?」
「・・・いや、そんな事はないよ・・・あのバイクにはな・・・」
俺はついさっき起こったことを店長に話した。
「まあ、こんな話、信じられないかもしれないけれどな」
「まあ、普通ならばな。でも、信じるよ・・・」
店長はタバコに火を点けた。
やがて、トラックは店の前に到着した。
バイクを下ろすと店長は俺を店の奥に誘った。
事務所の壁に額に入った何枚かの写真が飾られていた。
ショップ主催のツーリングやサーキット走行会の集合写真が飾られていた。
草レースの記念写真らしき写真も何枚かあった。
その中の少し古い1枚を指して言った。
「その写真の左側の男があのバイクのオーナーだよ」


1669 :黒猫 ◆cmuuOjbHnQ:2012/08/23(木) 11:37:38 id:GbxTGrZM0

写真の男がスクリーンの向こう側から俺の腕を掴んだ男かは判らなかった。
答えは判っていたが聞いてみた。
「この男はどうなったんだ?」
「死んだよ」
「あのバイクで?」
「いや、別のバイクだ・・・ホンダの250、VTだよ。古いバイクだ」
「事故で?」
「ああ、自損事故で・・・お前が停まっていた、あの辺りだ」
「本当に自損だったのか?」
「判らないよ・・・昔はむちゃくちゃに飛ばす人だったけどね。
結婚してからは大人しく走っていたし、子供が生まれてからは更に慎重に運転するようになっていたよ。
お気に入りだった、あの12Rだって手放そうとしていたからね。
でもさ、箱の付いた緑ナンバーで最高速アタックする奴はいないだろ?」
「・・・」
「警察に言われても、カミさんは信じちゃいなかったけどね。まあ、直線区間のあの場所で単独事故は普通に考えたら有り得ないよな。
でも、他の車両が絡んだ証拠もないしな。死人に口なしだよ」
「・・・」
奥さんはダンナのバイクを処分せずに残してあったんだけど、今度再婚することになったんだ。
それで、もう一台と一緒にね。
もう一台のガンマは古くてパーツもないし、外装もぼろぼろだったから廃車にしたんだけどさ」


1670 :黒猫 ◆cmuuOjbHnQ:2012/08/23(木) 11:42:55 id:GbxTGrZM0

あの晩の男が彼だったのか、それとも他の何かだったのかは俺には判らない。
だが、あの12Rに二度と乗る気は起こらなかった。
男の幽霊?云々ではなく、乗り手を異常な速度域に引っ張り込む魔力のようなものを感じて怖くなったのだ。
連日連夜、あのバイクで飛ばしていた自分の行動の異常さに、今更ながら気が付いたのだ。
バイク屋の店長には「タンデムの楽しいバイクがいいな。女の子のおっぱいが良く当たるヤツ」と言っておいた。
だが、俺の中では、バイクそのものに対する欲求は萎んでいた。
 
ところで、あの晩、潰れた男の顔を引っ掻いて俺を救った主は、行方の判らなくなった爺さんの猫『ヤマト』だと思っていた。
一宿一飯の恩義と言う奴なのか?
猫の恩返し、そんなこともあるのか・・・あの猫、やっぱり、あの火事で死んじまったのかなと、少し寂しい気分になっていた。
だが、火事から大分時間の経った、オム氏の娘のガードの仕事が終わった後のことだった。
意外な所で『ヤマト』は見つかった。
火事の直後、『ヤマト』は大家に保護されていたらしいのだが、遊びに来た孫が気に入って連れて帰ってしまったらしい。
まだ、爺さんが入院中で意識が戻っていなかった頃だ。
一応ペット禁止のアパートだったが、住人のペットを勝手に連れ去る形だったので口を噤んでいたらしい。
色々と悶着も有ったらしいが、爺さんが飼い続けることは不可能になったので、治療費は大家持ちという事で、大家の孫に譲られることになったのだ。
礼という訳ではないが、俺は無事の確認された『ヤマト』に、大家を通じて黒缶プレミアムまぐろを贈った。
 
 
おわり