近未来都市の幽寂

近未来都市の幽寂

サブブログ。転載・メモ用途。

回帰3 鬼哭

860 :回帰3 鬼哭 ◆cmuuOjbHnQ:2014/01/29(水) 05:46:28 id:XU1AEzQY0

移動中の車の中で、俺は『あの日』の事を思い出していた。 

12月21日の朝だった。
朝7時。
PCの電源を落したばかりの俺の部屋のドアがノックされた。
「XXさん、いますか?」
「いるよ。おはよう、マミ」
「昨夜は遅かったの?」
「ああ。よく寝ていたから起こしたら悪いと思ってね」
「目、真っ赤ですよ?寝ていないんですか?」
「ああ……寝そびれてしまって」
「そう……」
マミはゆっくりと俺に近づいてきて、一瞬躊躇したかのように止まると、抱きついてきた。
細い肩だ。
思いに任せて力いっぱい抱きしめたら壊してしまいそうだ。
「嘘つき……」
俺の腕の中でマミは肩を震わせていた。……泣いているのか?
「どうした、何があった?」
「知っていましたか?私、XXさんと一緒じゃないと眠れないんですよ?
愛してるって言ってもらって、キスしてもらって、XXさんが先に眠りに就くのを見届けないと眠れないんです」
「……何で?」
「怖いんです。朝、起きたら、XXさんが居なくなっているんじゃないかって。
目が覚めたら、あなたと出会ってからの日々が全て夢で、あの団地のあの部屋にいるんじゃないかって……怖いんです!」


861 :回帰3 鬼哭 ◆cmuuOjbHnQ:2014/01/29(水) 05:48:06 id:XU1AEzQY0

「俺が、マミの前から居なくなる訳が無いだろ?馬鹿だな」……胸が苦しかった。
「本当ですか?XXさんは、私に何か隠しています……馬鹿だけど、それくらい、私にだってわかりますよ!
……大事なことは何も、教えてはくれないんですね。。。」……もう耐えられなかった。
何を言おうとしても、まともに言葉にできる自信がない。
俺はマミを強く抱き締め、長い、とても長いキスをした。
このまま時間が止まればいい。
もっと時間が、マミと過ごす時間が欲しかった。
だが、時を司る神は残酷だ。
俺は既に時を使い果たしてしまっていた。
時が与えられないのなら、このまま世界が滅んでしまってもいい。
唇を離すとマミが言った。
「XXさん、何で泣いているんですか?」
迂闊にも、俺はいつの間にか涙を流していた。
「……何でかな?俺にも判らないよ。でも、お前以上に『大事なこと』は、俺には無いよ。
俺は、いつもお前の傍にいて、お前を愛してる。それだけは、何があっても本当だ」
「私もです。……私は、何があってもXXさんの傍にいます。愛してます」
……お互いに何百回も『愛している』と囁き、口づけを交わしたが、俺達の間には本来有るべき確かな証がなかった。
紙一枚の法律的なものではない。……そんなものは大した問題ではない。婚姻届など、いつでも出せたのだ。
俺の身体的な問題もあったが、マミの抱えた深いトラウマを俺は恐れていた。
落ち着いては見えるが、マミの心の傷は出血が止まっただけで、今なお生々しく、深く抉られたままだ。


862 :回帰3 鬼哭 ◆cmuuOjbHnQ:2014/01/29(水) 05:50:03 id:XU1AEzQY0

俺はマミの笑顔が好きだった。彼女の笑顔の為なら全てを捨てても惜しくはない。
泣き顔も好きだ。そして、泣き虫な彼女が泣き止んだ時に見せてくれる、涙混じりの笑顔はたまらなく可愛いかった。
怒ったときの膨れっ面も好きだった。彼女を宥め、機嫌を取ることも、俺にとっては楽しいひと時だった。
彼女の喜怒哀楽全ての表情が俺にとっては宝石だった。
だが、マミの恐怖に歪んだ顔は見たくなかった。
初めて出会った頃の、『どうなってもいい』と全てを諦め、涙を流すことも出来ない絶望した顔は二度と見たくなかった。
感情の消えた、凍りついた死人のような目を二度とさせたくなかった。
だが、触れ方を間違えれば、深く刻まれたマミの心の傷は血を流し、彼女は再び心を閉ざしてしまうだろう。
俺以上にマミは恐れていたはずだ。
傷つけられ、心を切り刻まれた者のフラッシュバックの恐怖は、他人には計り知れない。
一部の例外を除いて、マミにとって『男』とは、未だに恐怖の対象でしかないのだ。
『24日の夜は二人きりで過ごし、翌朝、婚姻届を出しに行く』と言う約束は、彼女にとっては決死の覚悟だったのだ。 
マミは、俺を信じて心を開いてくれた。
多くの人々に彼女が救われたように、俺もまた彼女に救われたのだ。彼女の想いに報いたかった。
だが、俺が彼女との約束を果たせる可能性は低い。
しかも、これから俺が行おうとしていることは、彼女にとって恐怖と嫌悪の対象である『暴力』と大差ない。
彼女に事実を話すことはできなかった。
午前10時、身支度を整えた俺は、誰にも、何も告げずに家を出た。


863 :回帰3 鬼哭 ◆cmuuOjbHnQ:2014/01/29(水) 05:52:09 id:XU1AEzQY0

待ち合わせの場所に迎えの車が来ていた。
タバコを咥えた朴が車外で俺を待っていた。
「来たか……」
「ああ。待たせたな」
「……では、行こうか」
俺たちは、後部座席に乗り込んだ。
道中、車内の沈黙を破って朴が口を開いた。
「何故、来たんだ? 逃げてしまえばよかったんだよ、除のようにな」
「ケジメだよ。 俺一人なら、それも悪くない選択肢だけどな」
「そうか……。 なあ、拝み屋。拝み屋を辞めたいなら、辞めればいいさ。
でも、『会社』まで辞める必要は無いじゃないか。 俺が社長に掛け合ってやるから、もう一度、一緒に遣らないか?」
「悪いな。 もう決めたことなんだ。俺は脚を洗うよ、キッパリとな」
「……そうか、判った。 もう、何も言うまい。 今夜は、全力で掛からせてもらうよ」
「ああ、そうしてくれ。 そうでないと意味がないんだ」
これから12時間後、俺はキムさんが選んだ10人の男達と戦う事になっていた。
朴もその中の一人なのだろう。
恐らく文も。
俺の腕では朴に勝てる可能性は低い。
普段の稽古なら3回戦って、1回勝てれば良い、そんな所だ。
文に至っては、どう戦えば良いか見当も付かなかった。
文や朴以外も、出てくるのは猛者揃いのあの道場の中でも選びぬかれた男達だろう。
まともに戦っても、勝ち目は薄い。
1人目で終わる可能性も低くは無い。
普通に考えて、逃げるのが一番の得策なのだろう。
だが、それが出来ない理由が俺には有った。


864 :回帰3 鬼哭 ◆cmuuOjbHnQ:2014/01/29(水) 05:53:20 id:XU1AEzQY0

キムさんから、場所と日取りの連絡が来た直後の事だった。
風呂上りに洗面台の鏡を見た俺は、その場に凍りついた。
鏡に映っていたのは、異様な『何か』だった。
死体のような?どす黒い肌をした『それ』は、赤く光る目で俺を睨み付けていた。
怯んで後ずさった次の瞬間、鏡に映っていたのは普通の俺の姿だった。
……あれは、何だったのだ?
鏡に映る、不気味な『何か』を見た晩から、俺は毎晩、同じ悪夢に魘されるようになった。
見覚えのある、古く薄汚れた部屋。
マミとユファが住んでいた、団地の部屋だ。
耐え難い悪臭が漂っていた。 ……この臭いは、屍臭だ。
部屋の奥に誰かがいる。
中に進むと、あの不気味な何かが、誰かを組み敷いて犯していた。
……マミだった。
激昂した俺は、マミから引き離そうと、ヤツの髪を掴んで引っ張った。
引っ張った髪は、大した手応えも無く頭皮ごとズルリと抜け落ちた。
凍り付く俺に、両眼から赤い光を放ちながらソレは襲い掛かってきた。
俺は喉笛に喰い付かれ、噛み砕かれた。
激痛とゴボゴボという呼吸音を聞きながら俺の意識は薄れていった。
次に気付いた時、俺は誰かを組み敷いて、その首を絞めていた。
マミだ。
マミは既に息絶えていた。
正気に戻った俺は絶叫した。
そして、絶叫した瞬間に俺は目覚めていた。


865 :回帰3 鬼哭 ◆cmuuOjbHnQ:2014/01/29(水) 05:55:07 id:XU1AEzQY0

それは、現実と区別が付かないほどリアルな夢だった。
いや、果たして夢だったのか?
俺の両手には、マミの首を締めた生々しい感覚が残っていた。
隣で眠るマミの寝息を確認して、俺は初めて、それまで見たものが夢だった事に胸を撫で下ろした。
そして、悟った。
あの不気味な何か、マミを組み敷いていた『あれ』は、俺自身であると。
 
マミの卒業パーティーの日、俺はマミに俺とPの過去と一木耀子の霊視による『定められた日』のことを話してはいた。
だが、マミにとってはくだらない迷信、ただの与太話にしか過ぎなかっただろう。
無理もない。
通常の世界に生きてきた者であれば、それが当然の反応だ。
俺自身が、近付きつつあるという自分自身の死期も、『定められた日』とやらも、どこか本気に捉えていない部分があった。
……この期に及んで、信じたくなかったのだ。
マミとこれまで通りの暮らしを続けながらやり過ごしたい、やり過ごせると信じたがっていたのだ。
だが、そんな甘い夢は、脆くも崩れ去った。
自分自身の死もだが、いつか正気を失いマミを手に掛けてしまうのではないか、それが恐ろしかった。


866 :回帰3 鬼哭 ◆cmuuOjbHnQ:2014/01/29(水) 05:57:42 id:XU1AEzQY0

そんな俺にイサムの姉の香織がコンタクトを取ってきた。
霊能者・天見 琉華の使いということだった。
ある行法を伝える為だった。
もたらされた『行法』自体は、ごく単純だった。
ただひたすらに、声に出さず頭の中で『真言』を唱え続けるだけの行だ。
単純だが困難な行だった。
真言』は常に唱え続けなければならない。
あらゆる場面で、飯を食っているときも、寝ている時も、人と会話している時もだ。
これは、やってみれば判ると思うが、非常に苦しい。
気を確かに持たないと精神に変調を来しかねない。
実際、俺の精神は何処か壊れてしまっていたのかもしれない。
だが、『行』が安定するに従って、徐々に悪夢は見なくなっていった。
やがて、『ヤマ』を超えると、苦痛も消えて無くなった。
意識しなくても、勝手に『心』が真言を唱えているようになった。
そして、俺の精神は『独り言』を止め、意識的に思考しなければ真言の詠唱以外、何も考えなくなっていった。
それが『儀式』の前提条件だった。
このような形を選び、決行日を俺の死期として予告された『定められた日』に合わせてくれたのは、キムさんの厚意だったのだろう。
正体の判らない『死』に怯えるよりは、目の前の『敵』と戦う方が余程いい。
今夜がその仕上げだ。


867 :回帰3 鬼哭 ◆cmuuOjbHnQ:2014/01/29(水) 05:59:23 id:XU1AEzQY0

やがて、車は通い慣れた道場に到着した。
キムさんのボディーガードの3人組、文・朴・徐が修行した道場であり、権さんに命じられて徐とタイマンを張った場所でもある。
徐に誘われる形で俺も通い、稽古を重ねた場所だ。ここでイサムとも出会った。
開始まで、まだ大分時間があるので、俺は事務室のソファーで横になった。
『……結局、与えられたチャンスとやらは活かすことはできなかったな』
マサさんの息子……いや、『新しい子供達』が示した、俺が怨みや怒りを捨てたことを示す言葉……
唱えれば、新しく全てが始まるという『あの言葉』とやらに、俺は辿り着くことが出来なかった。
琉華によってもたらされた『行』の効果にも期待はしていなかった。
ならばこそ、出来る事だけに全力を注ぐ。
目の前の敵と戦うのみだ。
勝目は薄いが、全ての『敵』を打ち倒して、真の『自由』を手に入れてやる。
父と約束したように、最後まで足掻き抜いてやる。
そして、帰るのだ。
マミと家族の待つ家に。
俺は、考える事を止め、頭の中に響く『真言』だけを聞いていた。


868 :回帰3 鬼哭 ◆cmuuOjbHnQ:2014/01/29(水) 06:01:04 id:XU1AEzQY0

時間が来た。
道着に着替えて地下の道場に下りると、キムさん達が既に待っていた。
キムさんと師範。権さんもいる。
文と朴、その他7名の有段者たち。
どの面々も曲者揃いだ。
文が若い男に声をかけた。
「安東はどうした?」
……イサムもメンバーだったのか!
だが、イサムが姿を現さなかったのは、俺にとっては好都合だった。
俺が居なくなったあと、マミのことを託せるのはイサムしかいなかった。
マサさんの井戸の中に入っていた『箱』に触れ、動かすことのできなかったPにマミを委せることはできない。
俺の杞憂であれば良いのだが……ヤスさんのいた工務店の社員たちのように、『箱』がPと彼の周りの人々の命を奪うかもしれない。
マミに危害の及ぶ可能性は、どんな些細なものであっても見逃すことはできなかった。
奈津子を俺から遠ざけた榊夫妻の気持ちが俺には痛いほど理解できた。
それに、まだ強烈に男性恐怖が残っているマミにとって、イサムは心を許せる数少ない男の一人だった。
俺と俺の父、義兄以外では、ほぼ唯一と言える存在だ。
そして、口にこそ出さないが、イサムがマミに単なる好意以上の感情を持っているのも確かだった。
姉の香織以外、女性に対する猜疑心や嫌悪感の強いイサムには、自分の感情の意味は未だ理解できてはいない様子だったが。


869 :回帰3 鬼哭 ◆cmuuOjbHnQ:2014/01/29(水) 06:03:12 id:XU1AEzQY0

文に問われた男が答えた。
「判りません。逃げたんじゃないですか?……別に来なくても構いませんよ、あんな奴。
それに、先輩方の出番もありません。俺で終わりますから」
一人目はコイツか。
一人目の男、具(ク)は、凶暴な男だ。
組手のスタイルも荒い。
誰彼構わずに勢いに任せた戦い方をするので、一般道場生との組手を禁止されていた。
キムさんの「そろそろ始めようか?」という声で『儀式』は始まった。
「お互いに、礼!」
……俺は、一人目の勝負、勝利を確信した。
文や朴は別にして、こいつらはこの勝負の本質を理解していない。
具は、勢いに任せて一気に相手を攻め落とす戦い方を得意としていた。
勢いに飲まれると秒殺されかねない危険な相手だ。
だが他方で、攻撃は直線的で、力みから予備動作が大きく、技の出処を読むのは容易かった。
強烈な『殺意』は感じたが、戦い方も通常の『空手』のルールから逸脱したところはない。
暫く俺は受けに徹して、具の『空手』に付き合った。
具に攻め疲れが見えたところで、俺は当初から立てていた作戦通りの行動に出た。
俺は、苛立ちから無理な体勢で大技を出してきた具を捉えた。
そして、彼の頭を引き込みながら、顔面に頭突きを見舞った。
2発・3発……更に見舞う。
具の顔面が鮮血に染まり、道場の床に血溜りが出来た。
具が俺の手を切って逃げようとした瞬間、俺は彼の金的に蹴りを見舞った。
具は、悶絶して床に崩れ落ちた。
俺は、具の頭部を足底で踏み潰し、床に叩きつけた。
彼の顔面が道場の床に激突して鈍い音をたてる。
更に、踵で彼の頭部を蹴り抜いた。2発、3発……。


870 :回帰3 鬼哭 ◆cmuuOjbHnQ:2014/01/29(水) 06:05:43 id:XU1AEzQY0

「や、止めろ!」
審判役の男が慌てて俺にしがみついて、具に対する俺の攻撃を止めさせた。
具の意識はなく、大きな『鼾』をかきながら、ピクリとも動かない。
凄惨な光景だった。
道場内は騒然となった。
文と朴、その他2名のベテラン以外の若手4人は殺気立って俺に詰め寄ってきた。
「反則だ!それに、具は試合続行不可能だった。ここまでする必要はなかったはずだ!」
俺は挑発目的で、わざとニヤリと笑いながら言った。
「こいつは『参った』とは言っていなかったからな。ならば、攻撃は続けないと。
当人が『参った』と言えるかどうかは問題じゃない」
「ふざけるな、この野郎!」
乱闘でも始まりそうな騒ぎだ。
しかし、師範の「黙らんか!」と言う大音声で道場内には静寂が戻った。
「ですが……、これは明らかに反則です!」
「問題ない。私はお前たちに彼を『殺す気で潰せ』とは言ったが、『空手の試合』をしろとは言っていない。
お前たちが殺す気で掛かる以上、彼もお前たちを殺す気で掛かってくるのは当然だろう?
そんな簡単なことも判らない様では、キム社長に推薦することはできないな。使い物にならない」
文や朴、その他2名のベテランは別にして、若手のこいつらは、俺と徐の後釜としてキムさんと契約する事を餌に参加させられたらしい。
足抜けする俺に『ヤキ』を入れるくらいの認識でこの『10人組手』に参加したのだろう。
命のやり取りをする覚悟など初めからない。
今更知ったところで覚悟など決められるものでもない。
普段は剛の者として鳴らしている彼らも浮き足立っていた。
事前に立てていた作戦通りだ。
重傷を負い意識のないまま運ばれていった具の惨状を目の当たりにして、彼らの動きは硬かった。
普段ならばそんなことは有り得ないのだろうが、『参った』が連続した。
消耗しながらも、俺は大きなダメージもなく5人目までをクリアすることができた。


871 :回帰3 鬼哭 ◆cmuuOjbHnQ:2014/01/29(水) 06:09:23 id:XU1AEzQY0

前半を終え、水を入れていると、権さんが俺に話しかけてきた。
「腕を上げたようだな。技が身についている。
徐とやった時とは大違いだ。相当な稽古を積んだのだろう。
連中は完全にお前の術中に嵌っていた。
駆け引きも戦略も冷静だ。修羅場を潜ってきただけのことはある、大したものだよ。
だが、魅力が無くなった……俺は、お前の何を仕出かすか判らない『狂気』を買っていたのだけどな。
姜種憲……ジュリーのガードをした頃の自分を思い出せ。
あの頃のお前は、ジュリー以上の『悪鬼』だったぞ?
まだまだだ。もっと、本性を曝け出せ……お前の中の『鬼』とやらを解放して見せろ。
次の相手は久保だ……小細工は通用しない。
全てを出さなければ、お前、殺されるぞ?」
『何を言っているんだ?』
だが、権さんの助言は的を射ていた。
 
6人目の男、久保は、事前の印象では、何故この場にいるのか不思議な男だった。
見た目は、小太りでやや小柄な体躯。
柔和なイメージで少年部や女性部の指導補助を務めており、子供や父兄からの信頼や人気が高かった。
一般の会社員として定職を持ち、正式な指導員ですらない。
こんな戦いに参加する意味は、彼にはないはずだった。
だが、この男の内包している『狂気』は凄まじかった。
使う技も狙う位置も、致命傷狙いのモノばかりだ。
そう言った『使えない技』で久保の戦い方は組み立てられていた。
具の後に戦った4人のような苦し紛れのものではない。
何万回と繰り返されたであろう『身に付いた』動きだ。


872 :回帰3 鬼哭 ◆cmuuOjbHnQ:2014/01/29(水) 06:13:14 id:XU1AEzQY0

久保は、殺意の塊のような男だった。
何がどうなれば人は内面にこれほどの『狂気』を内包できるのだろうか?
俺が久保を倒せたのは、全く偶然の成り行きだった。
もつれあって倒れるときに、咄嗟に久保の喉に肘を当て、全体重をかけて倒れ込むことに成功したのだ。
恐慌状態の俺は馬乗りになって、久保の顔面を殴り続けた。
 
戦っている間、打たれても打たれても、薄ら笑いを浮かべながら前に出てくる久保の狂気に、俺は恐怖を感じていた。
だが同時に、体の内側から湧き上がってくる何かを感じていた。
脳内麻薬にでも酔っていたのだろうか、戦うことに強烈な快楽を感じ始めていた。
強烈なテンションに突き動かされて、技を振るうことが楽しくて仕方がない。
俺の頭の中には、例の『真言』が大音声で鳴り響き、何も考えられなくなっていた。
久保の『狂気』が乗り移ったのか、俺は完全に『狂気』に支配されていた。
7人目の男、岡野とはどう戦ったのかさえ覚えていない。
気がついたら岡野は床に横たわり、動かなくなっていた。
ただ、強烈な殺意と憎悪に突き動かされ、力の限り蹴りを放ち、突きを出していただけだった。
前半のように、スタミナの温存を計算に入れた、『受け』に重点を置いて組み立てた戦い方ではなかった。
息が完全に上がっていた。
ダメージも蓄積している。
だが、苦痛は全く感じていなかった。
痛みさえ甘く心地よい、そんな感覚だ。
休憩を取る間も惜しんで、俺は次の相手を求めた。
「次だ!次の相手を出せ!」
自分の中にあった『何か』を解放し、異様なテンションに飲み込まれていた俺は、権さんの言うところの『悪鬼』だったのだろう。
憎悪と殺意の塊となって正常な判断力を完全に失っていた。
8人目の相手は、いつ来たのかは判らないが、イサムだった。
誰でも構わない。
全力の殺意と憎悪をぶつけたい、湧き上がってくる『力』を振るいたい、ただそれだけだった。


873 :回帰3 鬼哭 ◆cmuuOjbHnQ:2014/01/29(水) 06:15:47 id:XU1AEzQY0

イサムと本気で手合わせしたのは、この時が初めてだった。
一緒にロングツーリングに出かけたとき、俺は計画していた。
適当なところでイサムを打ち倒して逃亡を図ろうと。
だが、計画を実行しても、恐らくは失敗に終わっただろう。
意外だった。
強い。
今日、ここまで相手にした男たちの中では最強だ。
俺の攻撃が当たらない。
僅か数センチのもどかしい距離で全て躱されてしまう。
躱すとともに放たれる蹴りが強烈だ。
長い脚がしなるように叩き込まれてくる。
追ってもフットワークの速さが俺よりも1枚も2枚も上手だ。
……この戦い方は、権さんか?
俺は戦い方を変えた。
再び、『受け』に重点を置いた『待ち』の戦い方に戦法をシフトした。
ロングレンジで軸足をスライドさせながら、踵で蹴り込んでくるサイドキックが厄介だ。
被弾を覚悟して肘を落とす。
鞭のようなイサムの蹴りが襲ってくる。
蹴りをカットし続けた脛に激痛が走る。
だが、足にダメージが溜まり、焦りが出たのだろうか、イサムの蹴りが上段に集中しだした。
そして、チャンスが到来した。
俺はイサムの後ろ回し蹴りをキャッチすることに成功した。
すかさず軸足に足刀を叩き込んだ。理想的な角度で膝に蹴りが入った。
イサムの膝は確実に破壊されただろう。
倒れたイサムが膝を庇おうとするよりも早く、俺は踵でイサムの破壊された膝を踏み抜いた。
イサムが苦痛の悲鳴を上げた。
更に俺は踵で倒れたイサムを蹴り付ける。
膝を、腹を、顔面を……これまでのフラストレーションをすべて開放するように。


874 :回帰3 鬼哭 ◆cmuuOjbHnQ:2014/01/29(水) 06:18:12 id:XU1AEzQY0

血まみれのイサムは動かない。
トドメだ。俺はイサムの右腕を引き、彼の頭を床から浮かせた。
このまま足底で頭部を踏み抜き、床に叩きつければ終わりだ。
ゾクゾクするような歓喜
俺は蹴り足の膝を引きつけようとした。
その瞬間、冷水をかけるような女の悲鳴が道場内に響いた。
「もう止めて!」
声のした方向へ俺は視線を向けた。
マミだ……なぜ、彼女がここに?
先程まであれほど昂っていたテンションが一気に冷め、俺の全身から力が抜けていった。
イサムの体が床の上で音を立てた。
……見られてしまった。
マミに、一番見せたくなかった俺の姿を。
三瀬や迫田に痛め付けられ続けたマミにとって、『暴力』は強烈なトラウマだ。
そんなマミに暴力の快楽に身を任せた悪鬼の姿……醜い俺の本当の姿を見られてしまった。
「……マミ」


875 :回帰3 鬼哭 ◆cmuuOjbHnQ:2014/01/29(水) 06:20:24 id:XU1AEzQY0

頭の中に大音声で鳴り響いていた『真言』は停まっていた。
同時に、それまで気にも留めていなかった疲労とダメージが一気に噴き出していた。
重い足をマミに向けた。
次の瞬間、俺は絶望の底に叩き落とされた。
「来ないで!」
涙を流し、恐怖の表情を張り付かせたまま、マミは悲鳴を上げて俺を拒絶した。
……終わった。全てが終わった。
終わらせてしまったのは俺自身だ。
声にならない声が湧き出してきた。
激しい後悔。
誰かが泣き叫んでいる。
獣のような咆哮だ。
声の主は俺自身か?
自分自身の泣き叫ぶ声を聞きながら、俺の意識は消滅していった……。


876 :回帰3 鬼哭 ◆cmuuOjbHnQ:2014/01/29(水) 06:22:19 id:XU1AEzQY0
 
やがて、俺たちの車は目的地に到着した。
一木氏の邸宅だった。
文と朴が出迎えに門から出てきた。
文は、酷く蒸し暑いというのにマスクを外そうとしなかった。
朴は左耳が一部、欠損していた。
朴の話によると、マミの悲鳴を聞いた俺は、人間とは思えない物凄い奇声を上げて、その場にひざまついて、床を殴りつけていたそうだ。
あまりの異様さに、その場に居た全員が凍りついた。
そして、奇声が止んだ次の瞬間、俺はマミに襲い掛かった……らしい。
最初に反応して俺を止めに入ったキムさんは、頭部に肘を喰らい、頭蓋骨骨折の重傷を負った。
この時点で、未だリハビリのため入院中と言う事だった。
キムさんに続いて俺を取り押さえに掛かった文は、鼻を噛み切られたらしい。
朴は、左耳の一部を『喰われた』ようだ。
権さんが暴れる俺を捕らえ、更に若手の連中が取り押さえ、師範が俺を締め落したそうだ。
「……まるで、獣のようだったよ。人喰いのな。
正直に言わせて貰えば、俺は今でもお前が怖い。 あんなことは、二度と御免だ。。。」
朴の俺を見る目は、明らかな怯えを含んでいた。
朴の話を聞いて、俺は激しい衝撃を受けていた。
俺は、マミに襲い掛かったのか?
あの、マミに。。。


877 :回帰3 鬼哭 ◆cmuuOjbHnQ:2014/01/29(水) 06:25:18 id:XU1AEzQY0

取り押さえられた俺は、そのまま昏睡状態に陥ったらしい。
マミも精神的に深刻なショックを受けていたようだ。
久子経由で連絡を受けた祐子は、キムさん達を集団暴行で告発すると息巻いていたそうだ。
特に、マミの状態は、彼女の為に各方面に掛け合って尽力した祐子の怒りに火を注いだ。
だが、被害で言えばキムさん側の方が甚大だった。
キムさん以下、6名が病院送りとなり、3名が未だ入院中なのだ。
マサさんが言った。
「そのまま放置すれば、お前の命はなかっただろう。
バルド・トドゥルの49日間の間に命を落していたはずだ」
 
俺がマサさんの井戸の中身の『箱』を封印している間、木島氏と天見琉華は、秘密裏に俺の両親とマミに接触していた。
そして、マミは、俺の置かれた状況の詳しい説明を受けた。俺が知っていた以上の。
彼女は、琉華たちの説明や一木家の人々との面談を通して、はじめて俺の置かれた状況を『理解』したようだ。
だが、その事は敢えて隠された。
俺が『定められた日』を回避する為の道は、『戦う』以外の最良の道は、他にあったのだ。
俺は、香織を通じてもたらされた『行』を続けながら、マミと共に『定められた日』を震え、怯えながら過ごしていれば良かった。
朴の言ったように、俺が逃げてしまえばよかったのだ。
ヒントは与えられていた。
俺に逢いに来た除だ。
クライアントの愛人の女と逃げた彼のように、マミを連れて逃げてしまえば良かったのだ。


878 :回帰3 鬼哭 ◆cmuuOjbHnQ:2014/01/29(水) 06:27:01 id:XU1AEzQY0

だが、天見琉華はマミに言ったそうだ。
恐らく、俺は『逃げる』という選択は出来ないだろうと。
『行』では、俺の中の『鬼』は抑え切れない。
それが俺の業であり性質であると。
俺が抱え続ける『死への執着のカルマ』により、俺は、『死地』の中に逃げ込むだろう、と。
だが、これは、俺が自ら気付き、越えなくてはならない関門だ。
他の者が、特にマミが俺に教えてはならない、と、念を押したらしい。
俺が、自分の中の『鬼』と対峙する場、『行』により鬼を調伏出来なかった俺が逃げ込む『戦いの場』は、彼らの方で用意しようと。
この『戦いの場』で、イサム達との戦いの過程で、俺が命を落す危険性は高い。
生存本能による抑制が、働かないからだ。
だが、問題はその後だ。
死線を越えた後、俺が今生の、今ある『生』に執着するか、それが最大の問題だ。
俺の『生』への執着のポイントになるのがマミの存在だと、念を押したという事だ。
耐えて待つしかないと。
マミは、耐えた。
本当は、真相を話し、俺に『逃げる』選択を促したかったことだろう。
だが、最後の最後でマミは耐えられなかった。
それが久子の言っていたマミの脆さ、弱さだったのだろう。
俺が家を出たことを知ったマミは、イサムに連絡を入れ彼を問い詰めた。
イサムはマミを止めようとしたが結局押し切られ、マミを道場に連れて行ってしまったようだ。


879 :回帰3 鬼哭 ◆cmuuOjbHnQ:2014/01/29(水) 06:31:13 id:XU1AEzQY0

運命の夜が過ぎ去った後、俺は眠り続けた。
やがて年が開けた。
どうにか落ち着きを取り戻したマミは天見琉華に呼び出され、激しく叱責された。
マサさん曰く、
「琉華の奴がお前の事であんなに怒り狂うとは思わなかったよ。意外だった。。。」
マサさんによると、天見琉華はマミに問うたそうだ。
まだ、俺を助けたいか?と。
マミは助けたい、助けて欲しいと答えた。
天見琉華は言ったそうだ。
俺の命を救う事は可能だと。
意識も戻るだろう。
だが、意識が戻っても俺がマミを『選ぶ』可能性は殆どないだろう。
恐怖か憎悪かは判らないが、俺はマミに対し激しい拒絶感を抱く。
マミ本人によって刻み付けられた拒絶感だから、こればかりはどうにもならない。
元の二人には戻れないが、それでも良いか?と。
マミは答えた。
それで構わないと。


880 :回帰3 鬼哭 ◆cmuuOjbHnQ:2014/01/29(水) 06:32:59 id:XU1AEzQY0

マサさんが動いて、俺と関わりのある女たち……俺を『生』へと執着させる可能性のある人物が集められた。
日替わりで彼女達は自宅療養中の俺を訪れ、天見琉華の『術』を介して俺に語りかけた。
本来は、マミが行うはずだった『儀式』だ。
訪れた女達の中で、俺を目覚めさせたのは奈津子だったらしい。
目覚めはしたが、俺は全くの白紙の状態だった。
生ける屍だ。
天見琉華が俺を助ける条件として提示したのは、一定期間、マミが木島氏たちの許に身を置くというものだった。
俺が目覚めた時点で、マミは木島氏の許に行くはずだった。
だが、俺の意識が完全に戻るまで傍にいさせてやって欲しい、と俺の両親が木島氏に頼み込んだらしい。
榊氏の計らいでマミは実家に留まる事を許された。
やがて、俺は、記憶はないものの完全に意識を取り戻した。
天見琉華の予告通り、俺はマミに激しい拒絶感を抱いていた。
態度には出すまいとしていたが、マミも感じ取っていたはずだ。
記憶を失う以前の事については、周りの人間が俺に教えることは厳しく禁じられていた。
俺が意識を取り戻してから暫くの間は猶予が与えられたが、それも遂に終わりを告げた。
イサムの訪問だ。


881 :回帰3 鬼哭 ◆cmuuOjbHnQ:2014/01/29(水) 06:35:58 id:XU1AEzQY0

マサさんは、イサムから俺が彼に託したUSBメモリーを示された。
中には音声ファイルが入っていた。
マミのMP3プレーヤーの中に入っていたあの曲だ。
あの曲は、俺が深い瞑想中に聞いた曲を『耳コピ』したものを権さんがピアノで弾いて再現したものだった。
マサさんは、曲を聞いて俺が事前に何を行ったかを瞬時に理解したそうだ。
そして、イサムに言った。
恐らく、この曲を聞かせれば、俺は以前の記憶を取り戻す。
俺とマミ次第ではあるが、元通りにやり直すことも出来るだろう。
どうするかは、お前自身が決めろ。
この事を知っているのはイサムとマサさんだけだ。
どのような行動に出たとしても、マサさんは誰にも言わないし、イサムを責める事も軽蔑する事もない、と。
結局、イサムは託された曲をマミに渡した。
俺は、あの曲を聞き、記憶とマミへの思いを取り戻した。


882 :回帰3 鬼哭 ◆cmuuOjbHnQ:2014/01/29(水) 06:38:20 id:XU1AEzQY0

マミが去って3ヶ月弱。
今、マミは榊氏の許に居ると言う。
「明日、逢えば判る」そう言って、詳しい事情は教えられず仕舞いだった。
だが、マミにただならぬ事態が生じているのは確かだ。
今すぐにでも、マミの許へ走り出したかった。
彼女に何が起こったのか、無事なのか?
俺の眠れぬ一夜は始まったばかりだった。
 
 
つづく